『燃えよ剣』の分倍橋や浅川橋の乱闘が地元過ぎて萌える

半世紀以上前に書かれた小説ですが、司馬遼太郎『燃えよ剣』を読了しました。

新選組の副長として知られる土方歳三を主人公とした歴史小説で、1857年(安政4年)、土方歳三22歳の夏、府中大国魂神社のくらやみ祭りの夜から1869年(明治2年)の箱館戦争終盤での戦死までを描いています。

物語は大まかに三つのパートに分けられます。1857年から1863年までの、南多摩エリアで他流との抗争に明け暮れていた時期、1863年の京都行きから1868年の鳥羽・伏見の戦いまで、そして1868年の江戸帰還から翌年の箱館戦争での戦死まで。

新選組での活動はこのうち1863-68年の5年間です。

物語は架空のヒロインや架空の宿敵も登場しますが、全体としてはこの手の歴史小説の基本通り、史実に添って書かれています。

どのパートも大変読み応えがあるもので、特に後半の悲恋からバッドエンドまでの怒涛の流れは、わかっていてもグイグイ来ます。「新選組副長土方歳三」と名乗りを上げて単騎で敵の本営に斬り込んで行くラストシーンは、これは田中芳樹の『風よ、万里を翔けよ』(1991年)のラストシーンの元ネタですかね。わかっていても痺れる演出だなあ。

しかし多摩民としては、実は最初のパート、調布、府中、日野、八王子と連なる甲州街道沿いの村々で、沖田総司や原田左之助を従えて甲源一刀流の比留間一門と抗争を繰り返すところがですね。

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「お、大国魂神社だ」「分倍河原かよ」「矢野口? 国領?」「八王子の浅川橋? 大和田橋のことかな」

はい、普段自転車で走り回ってる辺りなんで、土地勘ありまくりでして、むしろそっちで盛り上がった。近藤勇の天然理心流の道場「試衛館」があったとされる市谷柳町も、妻の実家の目と鼻の先でしたしね。

さっきルートラボで描いてみたら、ICUの裏にある近藤勇生家から大国魂神社、分倍橋、土方歳三生家、大和田橋と回ってついでに斎藤一が明治時代に暮らしていた柚木の辺りまで行っても35kmくらい。自転車でガイドツアーで回って3時間かな。

史実の新選組関連スポット案内は東京都が出してますけど、フィクション『燃えよ剣』聖地巡礼ツアー、需要ありますかね。