Kapu na keiki

 「子供たちは聖なる存在である」

 ホクレアのデッキ後端クロスビームに彫り込まれた言葉です。会長のお言葉だそうですが。母校で3ヶ月、大学1年生を教えてみて、この言葉の意味が骨身に沁みましたね。こう言ってはなんですが、9月に初めて彼らと顔を合わせた時には、ちょっとこれはノーコメントと言うしか無いなあと思ったものです。ですが、あれはもしかしたら夏休みで緩めた緊張が戻っていなかっただけなのかもしれません。

 私の担当している学生の大半が、この(たった)3ヶ月で見違えるように成長しました。ええ。まだ甘さは目につきますが、筋は良い。あと3年間、きちんと育てれば、どこに出しても恥ずかしくない若者になるでしょう。大事なのは手をかけてやることですね。これは、手取り足取りという意味ではないです。出来るだけ時間をかけて接して、個々の学生の現状を把握し、最適な指導を準備する。幸か不幸かここしばらくは時間的余裕もありましたから、同窓の後輩限定・損得抜きの出血大サービスで、教材研究も授業準備も徹底的に時間をかけてやることが出来た・・・・時給を計算したくないくらいに。(給料が出ない)講義時間外のフィールド実習も3回もやることになりました。1回だけでも赤字覚悟なわけですが、1回目に来そびれた学生から「先生、またお願いします」と言われたら、それは断りづらいですよ。フィールド実習なら学生一人一人とじっくり話をする時間もありますから、それぞれの現状や希望に合わせたアドバイスをしてあげることも出来ますし。

 それで、私は確信しましたね。以前から中学や高校の先生方に「最近は書類仕事で忙しすぎて、子供とじっくり向き合っていられない」という話を散々に聞かされていて、それは確かに良くないなと思っていたのですが、自分でも18とか19の子供を教えてみて解りました。教師を無駄な書類仕事から徹底的に解放すべきです(教育先進国と呼ばれる国、例えばスウェーデンでは教師は教育実践と授業準備・教材研究以外の仕事はしないそうです)。

 ベストなのはもちろん親の躾が完璧で、教師に言われたことは放っておいてもきちんとやる子供です。が、そこまで行かないにしても、それなりに善良な保護者に育てられて芯はきちんと育っている、ただし若干甘いところがある子供が沢山居る。こういう子たちは、教師が手をかけてやれれば、かなりの確率でしゃんとする。それはもう感動的ですよ。ナイノアさんの言葉の意味そのまま。子供の成長こそ神聖なものです。だから、それが出来る状況を作っていかないと。

 現場を知らないマスコミやヒョーロンカの与太ばかりが耳に入る昨今ですが、あんなものは全部まとめて窓から投げ捨ててしまえば良いです。要らないです。邪魔です。有害無益です。教育について知りたかったら、まずは最寄りの公立学校の見学に。そして、教育サービスの消費者としてではなく、自分自身も公教育の一端を担う当事者としての目で見て、考えてください。今、本当に必要なのは何なのかを。