テレビ番組「”幸せの星”に導かれて」感想

 遅ればせながら視聴しました。そうですね、取り敢えず・・・・画像が綺麗です。ホクレアを採り上げたテレビ番組は他にも幾つかありますけれども、大体はポリネシア航海協会から借りたようなフッテージをちゃらっと流すだけなので、2日間海に出て撮影してきたこのフッテージは結構貴重なのではないかと思います。クラブクロウ・セイルを展帆する作業も面白かったです。

 もちろん病的なマニアである私の目には、多少の粗も見えてしまいましたけれども(例えば1976年の航海でマウ師が船長を務めたというキャプションがありましたけれども、1976年の船長はエリア・カパフレフア氏で、マウ師は航海長)、それはまあ、敢えて批判するようなことでも無いでしょう。こうした番組が2007年春にそれなりに広い地域の地上波で放送されたというのは、とても意義深いことだと思います。

 カワノ・ヨシオ氏の写真も、私は初めて見ました。どこかマウ師に顔立ちが似ているような気もしたのですが、眼鏡の形が似ているからかな? 

 さて。カワノ・ヨシオ氏で思い出しました。カワノ・ヨシオ氏はどこから来たのか? 以前私は、カワノ・ヨシオ氏自身のルーツ、あるいはカワノ・ヨシオ氏に海の知識を教えた人物の出自は山口県の周防大島、特に沖家室の漁民だったのではないかということを書きました。この仮説は今でもそれなりに可能性の高いものだと思っていますが、何せそれ以上は公文書の徹底調査やトンプソン家周辺での聞き取り調査をしないと追えないですから、現状では私の手に余る。

 そこで、最近の私は視点を少し変えてみてはどうかと思っています。カワノ・ヨシオ氏の両親や祖父母の戸籍があったのはどこか、という視点ではなく、カワノ・ヨシオ氏がナイノア氏に伝えた(であろう)日本の海の文化は、具体的にはどの辺の海だったかという話。

 まずポイントとなるのはカワノという姓です。これに対応する漢字は「河野」「川野」「河埜」「川埜」「河曲」などが考えられますが、最も多いのは「河野」。そこでこの地図を見てください。「河野」姓の世帯の数を市町村単位で示したもの。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~myouji/chizu/000078a1.gif
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 こちらは全世帯に占める「河野」姓の世帯の割合を市町村単位で示したもの。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~myouji/chizu/000078b1.gif
http://www5a.biglobe.ne.jp/~myouji/chizu/000078b3.gif

 瀬戸内海の西側になる福岡県、山口県、広島県、愛媛県、宮崎県。この5県の「河野」姓の多さは突出しています。何故でしょうか。答えは簡単です。かつて中世にこの海域に栄えた海民「河野水軍」の記憶が近世まで残っていた為に、明治8年の平民苗字必称義務令で必ず名字を名乗らなければならなくなった時、この地域の人々は、それならば俺も「河野」を名乗ろうといって河野姓を選んだからです。

 言い換えればこういう話になります。カワノ・ヨシオ氏はどこから来たのか? この問いに対する最も適切な回答はおそらくは、どこの島とかどこの津というよりは「瀬戸内海の西側、河野水軍の海からハワイに来た」となる。そう思いませんか?