毎日新聞のペイドパブリシティにホクレアの記事

 Paid publicity、要するに記事仕立ての広告のことですが、毎日新聞にハワイ州観光局のペイドパブリシティが出て、ホクレアも大きく取り上げられたようです。

http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/travel/etc/hawaii/index.html

 この他にもかなり広範囲に広報が展開されているようで、いやあ、どうするつもりなんでしょうね。一般常識で考えれば、ここまでやったらもうドタキャンなんか出来ないし、ホクレアは(一部で流布されているイメージとは異なり)割とそういうスポンサーサイドの都合をきっちり守ってきた船です。例えば1976年、最初のタヒチ航海ではスポンサーサイドからの入港時間の指定を守ろうとしてクルーの反乱が起きたわけですし、1995年のマルケサス諸島からハワイまでの集団航海でも、歓迎式典に間に合わせる為に赤道無風帯を伴走船に曳航させて通過しています。パブリシティ面のコントロールに関しては近年異常に神経質なポリネシア航海協会がここまで許した、ここまでやらせたということは、もう余程とてつもない緊急事態にでもならない限り、伴走船に曳かせてでも日本まで来るんじゃないですかね。

 私はそう読みます。私個人の読みですけどね。まあ例によって正式発表までは口が裂けても「あくまでも予定」としか言わないのでしょうが・・・・・。

 ハワイ州観光局名で、こんなプレスリリースも出ている。6/22付です。「現在計画されている日本寄港地は、沖縄(那覇)、熊本、福岡、山口、広島、愛媛( 宇和島)、横浜です」まで書いた。去年出た予定に較べると、かなり減ってます(和歌山や東京以北)。日本を回っている期間も2ヶ月と短いし、北海道まで行くのは止めたんですかね。
http://www.jata-net.or.jp/member/newsletter/pdf/H01/060623.pdf

 ところで私、ふと思ったことがあります。ホクレアの関係者というか、運営に直接関わっている人たちは、果たして日本まで来たいんでしょうかね一体。ナイノア氏個人は充分な動機があります。それは有名な話ですが、じゃあ他のクルーは? 内野かなこさんはホクレアに乗って故郷に錦を飾れれば、それは嬉しいでしょう。じゃあその他。何かこう、「日本でなければならない特別な理由」はポリネシア航海協会内部に確固としてあるんでしょうかね? 私が以前お話を伺ったジュニア・コールマンさんは、「ああ、日本に行く計画あるよ」くらいの軽い感じでした。日本に行くのも面白いかもな、くらいの感じ。

 これが過去のホクレアの大航海となると、割とノリが違うんですよ。特にホクレアが熱かったのは1980年のタヒチ航海往路だったと思うのですが、色々な資料を読んでいても、この航海にかけるポリネシア航海協会の情熱というものはすさまじかったように思うのです。燃える思いがあった。エディ・アイカウとハワイの為に、何が何でもタヒチまで行ったるぞという気合いに満ちあふれていた。1985-87年のアオテアロア往還、1995年のタプタプアテア神殿訪問とマルケサス・ハワイ間集団航海、1999-2000年のラパ・ヌイ往還なんかもその線でしょう。

 じゃあ、その日本航海というのはどうなのか。実はミクロネシア訪問こそが本筋、本題であって、日本というのはあまり真剣に考えられていないような気がします。気がするだけだけどね。だってさあ。彼らはハワイのこと、古代の大航海時代のこと、ホクレアの冒険の歴史を知って欲しいとは言っているんだけど、日本に来て何をしたい、何を見たい、何を知りたい、誰に会いたいという話が全然聞こえてこないじゃないですか。日本列島という島々がどんな場所で、どんな人々が住んでどんな文化を育んで来たのか。ちゃんと知っているホクレアのクルーって、どれくらい居るんでしょうか。いや、知らないなら知らないで良いんですよ。じゃあ、日本に行くから是非そういうものを学ばせてくれとか彼らは言っているのかな? 上に上がった寄港予定地の教育委員会にそういう話を持っていってるのかな。

 その辺のビジョンの曖昧さが、行くと言っては流れ、来ると言っては立ち消えてきた「ホクレアの日本航海計画」の根っこに巣くっているような気もするのですが、いかがなもんでしょう。少なくとも私は、「ペサウ号」でヤップ島から小笠原まで渡って来られたベルナルド・ガアヤン酋長とジョン・タマグヨロン酋長ほどの熱い思い、日本航海にかける熱気をサンド・アイランドからは感じないのです。違ってたらごめん。