ホクレアへの愛について

 最近、ネットサーフィンをしていても、ホクレアの日本航海について言及しておられるウェブログが明らかに増えていると感じます。どなたも、ホクレアが象徴するある精神を日本が学ぶ機会になるであろうという期待を表明しておられるようです。本当に心強いことです。

 ですが、私はここで敢えて、ある時期深くホクレアに心惹かれた人間として、私たちが自戒しておくべきこともあると書きます。何度も書いてきたことですが、もう一度書きます。すなわち、ホクレアというモノ自体はビショップ博物館の所有物ですし、その栄光の歴史はこれまで30年間に渡ってホクレアを支えてきた無数の人々の功績に他ならないのですが、ホクレアを愛するということ、ホクレアについて語るということ、ホクレアに関わるということは、法律を犯さず公序良俗を著しく乱さない限りにおいて、誰に対しても平等に開かれているべきであるということです。

 より以前からホクレアを知っていた、あるいは関わったことがある。そういう人々が、新たにホクレアを知ることになる人々や、それに関わろうとする人々を見下したり排除したりするようなことは、あってはいけない。自分たちに都合が良い構図を押しつけて、それを受け入れない者は認めないというようなことではいけない。何故ならば、それは贈与の連環を止め、贈与を殺すことに他ならないからです。

 個人的に気にくわないから、あいつはホクレアに関わって欲しくない、というような感情は、無論誰にでも生まれる瞬間があるでしょう。しかし、そのような感情に流された先に待っているものは何だったか、既に私たちはホクレアの歴史の中に見出しているはずです。思い出してください。1976年のタヒチ航海の往路。「ハオレ(白人)は気にくわない」「ハオレにはホクレアに関わって欲しくない」と反乱を起こした人々が現れた結果、マウ師はサタワルに帰り、エディの命は失われました。

 ホクレアを愛するというのは素敵なことです。しかし、その愛は、憎悪や嫉妬や相互不信を生み出すような方向に向けられるべきではありません。もちろん批判すべきものがあれば批判はしていい。私もこれまでに色々な方を(時にはナイノア氏までも)批判してきました。ですが、批判は論理の筋道を立て、論拠を示して行うべきものであり、理路も論拠も示さず「あいつは駄目だ」というだけの誹謗中傷や「この中には裏切りものがいる」という煽動とは明確に異なるものです。

 私たちは、今一度、あの戒めの言葉を噛み締めるべき時に来ているのかもしれません。

「愛は寛容であり、愛は情け深い
 また、愛は嫉むことをしない
 愛は高ぶらない
 愛は誇らない
 愛は不作法に振る舞わない
 愛は自分の利益を追求しない
 愛は苛立たない
 愛は恨みを抱かない」
(新約聖書より「コリント人への第一の手紙」、13章4節および5節)

 ところで、1976年に反乱を起こした3人、バッファロー・ケアウラナ、ブギー・カラマ、ビリー・リチャーズはその後どうなったか。1980年のタヒチ往還航海に同行し、その記録を著書「An Ocean in Mind」にまとめたウィル・キセルカは、序文において次のように書き記しています。

「1976年のホクレアの航海のクルーのみなさんにも感謝の意を表したい。特にワイアナエのマカハ・ビーチでルアウ を行って我々を歓待してくれたバッファロー・ケアウラナ、ブギー・カラマ、ビリー・リチャーズの三人には、格別の感謝を捧げる。彼らが我々に贈ってくれたマイレのレイこそ、何世紀もの断絶を越えて、現代と古代のポリネシアの航海の伝統を結びつけてくれたものである。」

 文責:加藤晃生