グアムにだって航海カヌー文化復興運動はあるのだ

 グアム島。私の父方の祖父母は生前、一度だけ海外旅行というものをして来ました。その目的地だったのがグアム島です。今じゃあ学生が1週間分のバイト代で気軽に遊びに行く島ですが、昔はそれなりに憧れの島だったんです。

 さてさて。グアム島はミクロネシアでも一番北のあたりにあって、サイパン島では「チャモリニアン・ヴィレッジ」という形で存在している航海カヌー文化復興運動も、グアムまでは届いていないような気がしておりましたけれども、実はそうでもないらしいです。

 このウェブサイトを見てください。英語ですが。

http://guam.org.gu/vessels/

 これは、プルワットの2人の伝統航海士と、グアムに住むチャモロ人のカヌービルダーを取り上げたドキュメンタリー・フィルムの紹介をしているウェブサイトです。

 主な登場人物は3人です。まず、プルワット生まれの兄弟、セレスティーノ・エムワルCelestino Emwaluとソステニス・エムワルSosthenis Emwalu。そしてグアム人のカヌービルダー、ロブ・リムティアコRob Limtiaco。

 セレスティーノとソステニスはプルワットで生まれ育った兄弟でしたが、高校を出た後は正反対の道を歩みました。セレスティーノはハワイやカリフォルニアで学問を修め、ソステニスはプルワットに戻って、義父でもあった伝統航海士、マニピイManipy師について伝統航海術を学んだのでした。

 やがて2人は、グアム島でチャモロのカヌービルディングを学んでいたロブと出会い、グアムとプルワットを結んだ航海カヌー文化復興の運動を開始します。これが1980年代半ばのことです。ロブはプルワットへと飛んで、カロリニアンの航海カヌー建造技術を学び、それをグアムへ移植しようとします。セレスティーノはミクロネシア大学チューク校に、伝統航海術を中核とする「チューク学」のコースを開設。ソステニスはこれに協力して、自分の知識を若者たちに教えていったのです(残念なことに、ソステニスは1997年に癌で亡くなってしまったそうです)。

 いかがですか。ミクロネシアには既にマウ師の一族による航海カヌー文化復興運動があり、またウルピイ師とレッパン師の一族による航海カヌー文化復興運動があり、マーシャル諸島にも航海カヌー文化復興運動があるわけですが・・・・・それだけではなかったんですね。

 ソステニス師は亡くなる直前、グアム大学で伝統航海術の講義を持っておられたとのこと。ソステニス師が健在であれば、そこでまだまだ多くの若者がプルワットの伝統航海術を学べたでしょうし、大学というからには、そこに入学すれば誰でもソステニス師について学べたということで、日本からだって、グアム大学に勉強に行けたはずです。残念。

 なお、先ほどのリンクではストリーミング動画(27分)が見られますので、ブロードバンドの方は是非、ご覧になってください。ただし仕事中に見ていて怒られても私は責任取りませんですことよ。