JRCAと航海カヌー招致

 アオテアロアでシーカヤックのガイドをしておられるRyuさんのウェブログにて、JRCA問題についての詳細な分析をしていただきました。

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 このウェブログはリモート・オセアニアの航海カヌー文化復興運動とそれに関わる太平洋諸地域の海洋文化を採り上げ、航海カヌー文化と日本列島がいかに関係を築いていけるかについて考えていくことを目的としていますので、JRCAについてはどこまで踏み込んで良いものかいまだ計りかねておりますが、今回はあえて本来の主旨を踏み外して語ることにいたします。

 まず、JRCAという団体の失敗について。
 
 まだ失敗というには早いのではないかという考えもあるかもしれませんが、現時点で既にいくつかの失着をしてしまっている事実は隠せないと思います。その原因はやはりRyuさんがウェブログで指摘しておられるように、レクリエーショナル・カヌーイングという実践の本質を理解している人材を見つけられなかった(というかレクリエーショナル・カヌーイングという実践の本質を組織が理解していなかった)という所に行き着くと思います。これだけ反発があったという事は、実際にフィールドでレクリエーショナル・カヌーイングを実践している人々がJRCAのコンセプトに強い違和感を抱いた結果なのでしょう。

 例えばこういう文章があります。タレントの清水国明さんがJRCAのインストラクター資格を取ったエピソードですが

「●(笑)。清水さんはカヌーのインストラクターの資格も取得されたそうですね。
「うん。今までインストラクターの免許なんかなくても、ずっと教えてきたわけだし、カヌーも100艇200艇と造ってきたんだけども、シーカヤックというのは分野としてはちょっと弱かったのね。社団法人日本カヌー連盟というところが、色々お話をしているうちに『自然楽校』を公認のカヌー・スクールにしましょうという話になったんですよ。まだ、関東に2つ関西に2つしかない公認カヌー・スクール。けど、インストラクターの資格を持っていなくてはならないということで『じゃあ、取りましょう』と言って、真冬の12月、1月くらいから三浦海岸に通って、手がちぎれそうに寒いのに城ケ島とかあの辺を13kmも漕いだりしました。ドボンと落ちたりしてね(笑)。
 そんな訓練をやって夕御飯を食べてから、今度はホテルのプールを貸し切って夜中の12時までエスキモー・ロールっていうドボンと落ちて、起きあがりこぼしみたいに『オリャー!』って起きるという(そういう訓練)を4ヶ月やりました。もうゲロゲロでしたね(笑)」

●完璧な体育会系ですね。
「教えて下さる人が、消防隊の教官みたいな人で元オリンピック選手なんです。本田大三郎という70歳のおじいちゃんなんだけど、ドボンと落ちちゃうと教官が『落ちつけーっ!名前を言えー!』と言うので『清水國明っ!上りますっ!』とか言いながら(笑)、ゲボゲボって言いながら・・・(笑)」

●(笑)。心身ともに鍛えられるわけですね。
「鍛えられたねぇ(笑)。それで免許が取れました。それもこの冬の得たものだったんだけど、本田先生曰く、信念や本当に思い込んだことは必ず実現するからっておっしゃっていたので、この冬はその事ばかり考えてた。イメージ、想像することってすごく大事。想像(イメージ)と創造(クリエイティヴ)はイコールなんです。イメージしたことが出来上がるんです。思ったことを形にする創造力も鍛えなければいけないんだけど、全てのものを思って今造って、自分自身で造るだけではなくて周りも引き込んで造ってしまうという、人を惹きつける力、おびき寄せる力も創造力のうちの1つだと思いますね」

THE FLINTSTONE:清水國明・定点観測、河口湖自然樂校にて(04.04.25)
千葉のFMラジオ局BAY FM(ベイエフエム)のネイチャー番組「ザ・フリントストーン」のホームページ。清水國明さんのインタビュー。

 この語りから二つの問題点が指摘できます。
 まず、日本カヌー連盟公認ということの意味です。内田正洋さんも『Tarzan』での連載において「日本で唯一の公式の・・・組織」として日本カヌー連盟を紹介しておられますが、その場合の公とは何かという事。例えば日本国の公道において自動車の運転を行う場合には国家公安委員会というまさに国そのものが認めた資格が必要になります。これは国が自動車の運転という行為をそれだけ重大で野放しにしてはいけない行為と位置づけ、実定法によって管理しているからです。

 しかし日本カヌー連盟というのは国でしょうか。違いますね。ただの社団法人。立法権も司法権も行政権も無いただの団体です。それが何故カヌーの世界で強力な政治力を持っているかといえば、それは国体とオリンピックという競技会についての独占的な権益を保持しているからです。しかしそれは競技カヌーの世界であり、レクリエーショナル・カヌーイングにおいては別に国体もオリンピックも関係無いわけです。するとどうなるのか。

 ここで権力と権威という概念を考えてみるとわかりやすいと思います。
 
 権力とは、まあ色々と定義はありますが、一番わかりやすいのは、「他人に、本人の意に添わないことを無理矢理やらせる力」というものです。例えば日本カヌー連盟は国体やオリンピックへの出場権というもの盾として、競技カヌーの選手に様々な事を「無理矢理やらせる」力を持っています。この時日本カヌー連盟は日本の競技カヌーの選手に対して権力を持っていると考えられます。

 ではレクリエーショナル・カヌーイングについてはどうでしょうか。
 直ちにわかるように、日本カヌー連盟もJRCAも市井のカヌー愛好家に対して権力を行使する術がありません。ダイビングのPADIライセンスのような体制は存在していないのです。つまり、日本カヌー連盟やJRCAは、本来何の権力も行使出来ない人々に対して権力を行使しようとしているのです。

 そりゃあ相手にされなくて当然ですわ。

 JRCAはどうしたら良いのか。唯一の術は、権威を手に入れることです。権威とは権力の特殊な形態で、既に説明した権力一般のように、何か実際的なイヤガラセの可能性をもとにした強制力による権力ではなく、誰もが自主的にその存在を真っ当だと思う形の権力です。誰もが「この組織は信用できる」と心から思う時、その組織は権威という独特の権力を手に入れるのです。

 果たしてJRCAは権威を手に入れうるのでしょうか。清水さんの体験談はどうなのでしょう。私はまったくレクリエーショナル・カヌーイングについて知りませんが、そういうアクティヴィティの先進国ではこういうトレーニングでインストラクターを育成しているのでしょうか。私にはただの日本国伝統的体育会文化*としか思えませんが。JRCAが権威を手に入れようとするのであれば、日本国のレクリエーショナル・カヌーイング愛好家の多くが「こういう形で資格認定をしているのであれば信用出来るし、協力したい」と自然に思うような活動をしなければいけませんでしょう。

 では、JRCAはそういう活動をしているのか。
 
 色々な所で指摘されていますが、私はしていないと思います。
 例えば清水さんのカヌースクールが「公認」になった経緯がそれを端的に示しています。うちわの人間関係の延長でやっている。公的であろうとするのであれば、公私の区別はつけなければいけません。どんなにツーカーの仲であれ、きちんと誰に対しても同じ条件で開かれたルートを通じてもらわなければいけないはずなのです。ところが、JRCAにおいては、組織が設立される前に何故か「公認」スクールがあった(国立大洲青年の家)など、筋を外した話が多すぎる。オトモダチ人脈の延長上でやっている。野田さんや内田さんがスカウトされた経緯も同じでしょう。アウトドア産業界のオトモダチ人脈で一本釣りしている。本来であればまず会員を広く募り、会員による互選によって理事を選ぶのが筋です。規約も総会で承認してもらうのが筋。公認資格の内容も総会で議論して会員による承認をもらうのが筋。
 
 一言でまとめれば「JRCAは言葉通りの意味で公的であるために必要な手筋の全てを踏み外している」となります。 

 といっても、JRCAが悪意に基づいてそういう方向性を持っているとは私は感じ無い。掲示板で「おおさわ」さんが色々書いておられますが、基本的には善意の集団であるけれども、こういった組織の作り方やそこに求められる資質が見えていなかったから下手をいっぱい打っているのだと思います。 

 私は何度も言いますがレクリエーショナル・カヌーイングには何の関係も無い人間です。しかし、出来れば近い内にそういうものを経験してみたいという思いはあります。といっても私が一番興味を持っているのはポリネシアのアウトリガー・カヌーなので、JRCAも日本カヌー連盟もいまんとこ手を出していない領域ですが。それにしても、安心して依頼できる業者かどうかの見極めが出来る体制は出来れば欲しいし、その時になんらかの目安となる「公認」制度があって欲しい。それはプールでエスキモーロールの特訓をこなしてきたとかそういうのではなくて、素人を最大限楽ませて、かつ最大限安全である事を実現するという意味でのプロが「公認」されていて欲しいということです。

 JRCAの奮起に期待したいですね。辰野さんは、今からでも組織を立て直していくだけの力量を本来持った人物と想像しますし。

 と同時に私たちの興味関心に引きつけて指摘するならば、日本国におけるレクリエーショナル・カヌーイングについての権威を確立し、良質なインストラクターやガイドを供給し、その市場を開拓・保持し、その為のフィールドを保全していくというのがJRCAのすべき使命でしょうし、これは極めて重大かつ困難なミッションです。一流の人間が生涯を賭けるに価する大事業だと思います。とすると、航海カヌー招致という脇道に手を出す余裕はあるのだろうかとも思います。内田さんは「良い加減で(いい加減ではなく)」やっていくと書いておられましたが・・・・・・。
 
*太平洋戦争敗戦までの日本の近代教育は「知育・徳育・体育」という三つの目的に向けられておりましたが、特に体育については兵士として有能な人間を作るということが含意されておりました。日本の近代スポーツの実践組織の多くが極めて頭悪く知性も教養も欠いて低能な軍隊式組織であった淵源はそういうところにあるのかもしれません。ピーター・ケニヨンやホセ・モウリーニョという有能な人物によって管理されるチェルシーFCの映像を見るにつけ、そんな思いを抱きます。