あんまり関係無い方向の話ばかりしているのも何なので、もう少し航海カヌーに関わるお話をしましょう。
私たちはJRCA騒動から一つの教訓を引き出す事が出来ると思います。
「いかに目的が素晴らしくても、プロセスに問題があれば人々は集まってこない。」
つまり、航海カヌー招致運動においても、きちんとした民主的なプロセスを経なければ、人々の力を結集していくことは出来ないのです。
私はJRCA騒動の淵源に、公という場の本質とは無関係な社会集団の成員やルールを転用しようとしてしまったというミスがあると思います。すなわちオトモダチ社会です。
モンベルは私企業ですし、『Be-PAL』も私企業。日本カヌー連盟は社団法人ですが、国体やオリンピックや文部科学省というより上位の権力が背景にありますから、その内実が民主的でなくても破綻しない。そして少なくともモンベルや野田さん、内田さんなどがJRCAに関わるプロセスは、雑誌に記事を書いて貰うのと同じ、オトモダチ関係であったように見えます。少なくとも外からは。このオトモダチ関係の利用は、雑誌を作るとかモンベルくらいの規模の会社を切り回して行くのであれば、最も効率が良い手段です。企業や雑誌は民主的であることを求められないし、オトモダチ関係は似たような価値観を背景として構成されますから、企業や雑誌のように価値観が偏っている事が個性としてポジティブな意味を持つ社会では、むしろメリットになる。
しかし、レクリエーショナル・カヌーイングのような、複数の価値観や複数の事情、複数の商売が絡んでくる実践を全国的に統合していくのであれば、オトモダチ関係でやるのは下策です。
同じ事が、航海カヌー招致運動にも当てはまると思います。
個人的にナイノアさんとツーカーだとか、航海カヌーに乗ったことがあるとか、ホクレア関係のウェブサイトを作っているとか(=私)、そういう人たちとオトモダチだとかいう理由で「じゃあ僕とあの人とあの人が理事ね。」で組織を作ったとしたら、JRCA騒動と同じような事が起こるはずです。人々は集ってこないでしょう。
私はそういうやり方を「囲い込み」と呼んでいます。
日本において航海カヌー招致運動の中心になった人物は、ホクレアが接岸して来た時に人々の列の一番後ろに居るべきである。これは不条理極まりない話ですが、進んでそのような不条理を引き受ける人の所にこそ、人々は集まってくるのではないでしょうか。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」です。
私たちも肝に銘じてまいりましょう。