ホクレアの帆がカニ爪型になったことで、何かこう、かなりわくわくしてきました。本当はもっと強烈なカニ爪型の帆を装備していたこともあるんですが、まあそこまでは望んでもしょうがないっすよね。
ところであの船、何しに来るのか。何か色々と建前は並んでいますけどもねえ、私は思うんですよ。多分、彼らにもよくわかってないんじゃないかなって。もちろん荒木汰久治さんは「ホクレアで日本に戻る」ことが夢だった方ですから、非常に深い思い入れがある航海なのだと思いますし、「Aloha style」に書かれてあった荒木さんの考え「ハワイからサタワルまでの航海で自分が乗る必要は無い。もっと他に乗るべき人はハワイに沢山いる。自分はその先で、故郷である日本を思いながら航海したい。」も、とてもよく理解出来ます。
まあ、あまり根拠のあることでも無いんですけど、私個人の印象としてはですね、今度ホクレアに乗られる日本列島人の中でも、荒木さんが一番この日本列島という空間への拘りを持っておられるような気がするんですよ。良い悪いではなくね。「この日本列島で、航海カヌーとウェイファインディングというものを通して《ひとかどの人間》になりたい」という思いをとても強く感じる。
というのはですね、私も荒木さんと同じくフリーで仕事をしている人間なんですが、当然ながら自分の能力や業績を高く評価して欲しいという思いがあり、また自分の力、自分の磨いてきたこの能力で社会の役に立ちたいんだという強烈な欲望がある。自分の故郷であるこの日本列島でね。ひとかどの人間になるというのはそういうことです。自分の力、業績が認められ、また社会に貢献出来ている、そういう人間。それを目指すのは当たり前のことです。何も恥ずべきことじゃないと私は思う。
他に噂に出ておられる方々は、どちらかというとコスモポリタン的というのか、そこまで「故郷で名を上げる」ことへの拘りを私は感じないですね。それもまた良いと思いますよ。
さて話を戻しますが、ホクレアですけれども、日本まで行くということに対して、かつてタヒチを目指した時、アオテアロアを目指した時、ラパ・ヌイを目指した時ほどの熱い思いは無いんでしょう。そこまで熱い気持ちがあればとっくに実現してますって日本航海。
ですけれども、日本に行ったら何かあるんじゃないかという漠然とした予感は持っているんだと思います。残念ながら彼らは日本列島のことをあまり勉強していないようですけれども、言い換えればその程度の興味しか持っていないということなんでしょうけれども、でも何かは感じているんじゃないのかな。
だから、彼らが来てみないと結局のところ、この日本航海が何だったのかはわからんと思いますよ。でもまあ、それもまた良いんですよ。そもそもの話、古代のポリネシア人だって、そういった漠然とした予感だけを抱いて船を出して、新しい島を見つけていったんじゃないんでしょうか。この日本航海は多分、1976年や1980年のタヒチ航海、1985-87年のアオテアロア航海、1999-2000年のラパ・ヌイ航海みたいに、その航海がそれだけで一つの完結した物語になるようなもんじゃないと思います。始まりですよこれは。だってお互いに、お互いのことを知らないんだから。10年後、20年後に、あああの2007年の航海が始まりだったよねとお互いに言えたらそれがこの日本航海の「成功」なんじゃないですか。この航海で涙と感動の大団円を期待しちゃいけないです。でも、だからといって「こんなものは違う」と言わないほうが良い。
私はそう考えます。