実は映画版のパンフのストーリー解説も私が書いたんですが、校正段階でこんな感じのやりとりが何度か交わされました。
編集者「あの~、××が××したっていう記述なんですけど、これは映画版にもありましたか? さっき配給元さんの方から問い合わせがあって・・・。」
かとう「それはですね、××が××するシーンで、××が『×××』って言いますよね?」
編集者「ええ。」
かとう「その後に××が出てきて『×××』って言ってますよね。これは要するに×××を×××するって意味なんです。」
編集者「え? そうなんですか?」
かとう「そうなんです。でないと×××が×××するシーンで××が『×××』って言っている意味が無くなっちゃいます。」
編集者「なるほど~。」
いや、編集者さんや配給元の担当者が伏線読み取れてない部分もあるのはしょうがないと思うんですよ。みんな似たような服装してるから、誰がどの場面で出てきたのか、把握しづらいのも事実ですし。原作では4巻半ばのセビージャ監獄の章で活躍するガンスーアが、よく見るとブレダの塹壕にも出演してたりとかね。
そんなわけで、パンフレット、少なくとも1度は目を通してから映画を見る機会を持っていただくと、伏線落としをかなり防げるのではないかと思います。もともと大まかなストーリーは知れている作品なわけですし、能や歌舞伎の古典と同じで、ストーリーを予め知っていても楽しめる映画だと考えます。能や歌舞伎、オペラなんかもそうですけど、観る人の大半はストーリーを細部まで知っていて、「この役者はどんな風にこの役を演じるのか」を楽しみますよね。アラトリステもそれと同じで、隊長や師匠や爺をいかに役者さんが演じているかを楽しむ。おそらくスペイン人はそのようにしてこの映画を観たんじゃないかと。