11月のある夜、俺は星降る野原で喜びの星を見つめていた。

 まもなく、一人の友人がこの世を去って一年になります。清水理恵さんという方で、旅行関係のフリーライター・編集者でした。特にスペイン語圏を偏愛しており、しかしフェイバリット・シティはバルセロナという若干変な人でした*。今から思えば相当に無理を重ねて仕事をしていて、それが結果的に彼女の人生を短く太いものにしてしまった気がしますけれども、とにかくやたらタフで、徹夜どころか連徹も当たり前。よく食べ、よく飲み、よく踊り、よく旅をした方ですね。

 彼女が後半生のライフワークと位置づけていたのが、スペインの多様な文化の日本への紹介でした。

 スペインといえばまずアンダルシアの風景とフラメンコと闘牛が思い起こされますけれども、あの国の重厚長大な歴史と文化の中にあって、そういったイメージはごく一面的なものに過ぎません。彼女の愛したカタルニアには、中世長きに渡ってイベリア半島を支配したイスラム諸国家の足跡は記されていませんから、ムデハルと呼ばれる、イスラムとキリスト教ヨーロッパの両文化の混交は見られません。さらに北辺にはケルト文化の地やバスク文化の地があり、それらを貫くようにして、サンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼路が伸びている。いわゆる「エル・カミーノ(巡礼路)」です。

 それぞれの地方に独自の生活文化があり、魅力的な場所がある。彼女はこの端的な事実を日本の人々に伝えたいと願っていました。そして、自ら小さなサークルを組織して、スペイン文化紹介のイベントを手作りしていました。

 私は彼女のこうした活動を(やり方には多少強引なところもありましたが)、高く評価していました。イベントを手伝ったこともありました。というか、そういった活動を彼女が最初に始めた時には、私もサークルの中心メンバーでした。渋谷の片隅のスペイン料理店の小さなテーブル。ヴィノ・ティント(赤ワイン)を魂のガソリンと燃やし、私たちの活動はそこから始まったのでした。

 ですけれども、ある時点で私の興味関心は別の所に移り、彼女とは別の道に進みました。私がやりたかったのは、ある特定の国・地域・文化を愛し、その最新情報・レア情報をいち早く日本に紹介するという活動では無く、もっと普遍的な何かを語るということだったのだと思います。その道筋として、それがいくら魅力に溢れた土地ではあっても、スペインという限られたテーマのみを通過しなければいけないというのは、私が望むものではありませんでした。

 それにしても、今現在、リモート・オセアニアの航海カヌー文化復興運動をこうやって紹介し続けているその活動の何が普遍的なのか。申し訳ない。本人としては、航海カヌー以外の話題を採り上げている時にこそ、普遍的なものを語っているつもりなんです。何故、航海カヌーの話をするはずのウェブログに教育の話や観光の話や環境問題の話が出てくるのか。それは、航海カヌーというテーマを通して私が普遍的な何かを見ようとしているからであり、教育だの観光だの環境だのというのは、航海カヌーというレンズの先にある、普遍へと繋がる隘路なんでしょう。多分。願わくば。

 私にとっての普遍。遍く天上天下の人々に共有してもらうべき価値観。それは、彼女の傍らを離れ、ホクレアという星の名前に導かれて探求を始めた頃に、確かな形をとりました。といっても言葉にしてしまえばさして芸があるわけではありません。ただ、「人生とは最後まで生きるに足る価値を持っている」「世の中捨てたもんじゃない」というだけの話です。私も私の中の人も、皆様にその一点いや二点をお伝えすべく妄言を連ねているのみといって、ほぼ正解であります。

 彼女も、もっともっと生きて、日本の皆様にスペイン王国の尽きせぬ魅力を紹介したかったことでしょう(不摂生してるからいけねえんだバカが)。その彼女の願いの原点には、私と同じ思いがあったと信じたいものです。アタマ悪い奴だったからそういう深いこと考えてなかった気もしますが、しかし彼女は間違いなく人生と世界を愛していました。

 ですが、彼女は志半ばに倒れました。私もあとどれだけ生きられるかは知りませんが、私なりのやり方で、彼女から受け継いだ何かを繋げていくつもりです。

 そうそう、ご存じでしょうか。スペイン王国がイベリアの地に両足をもって立つ為には、一つの神話が必要でした。星降る野に祀られた聖ヤコブの亡骸。星に導かれた牧童がこれを発見したというものです。いや、その聖ヤコブが従ったイエスもまた、その誕生に際しては東方から三人の学者が星に導かれて彼のもとを訪れたのでしたね。星は遙かな高みにあるだけですが、人間は勝手に星に導かれます。ナイノア・トンプソン師もエディ・アイカウも、ホクレアという一つの星に勝手に導かれました。

 ナイノアさんにもエディにも遠く及ばない私もまた、聖ヤコブではなくホクレアを目指します。キリスト教徒によるイスラム教徒排撃を導くことになった聖ヤコブの星ではなく、太平洋の島々に民族を超えた贈与と連帯の環を創り出しているホクレアを俺は追います。

 さらば、Rieちゃん。ホクレアの下でいつかまた会おう。さよなら。

*バルセロナはスペイン語圏ではありますが、カスティリア語とは異なるカタルニア語を公用語としています。詳しくは湯川カナさんのこの記事をどうぞ。
http://nagaya.tatsuru.com/yukawa/archives/2006/01/09_1103.html