カホオラヴェ島での儀式

 カホオラヴェ島での儀式は15日の朝に行われたそうです。「ケアライカヒキ」を霊的に開いて、ホクレアとアリンガノ・マイスをミクロネシアへと送り出す儀式だそうです。

 PVSのウェブログによれば、この「ケアライカヒキ」はハワイ諸島の主要8島(ハワイ島、マウイ島、カホオラヴェ島、ラナイ島、モロカイ島、オアフ島、カウアイ島、ニイハウ島)の中央部にあり、またかつては航法師の訓練に使用された海と考えられているそうです。

 このケアライカヒキ海峡から進発してタヒチへの航路に乗れるかどうかを調査した「ケアライカヒキ・プロジェクト(1977年)」がナイノア氏のナヴィゲーターとしてのデビューだったことは『星の航海術をもとめて』の冒頭に紹介されていますね。このデビューが惨敗だったことで、ナイノア氏はまずウィル・クセルク先生に弟子入りして近代天文学を基礎から学ぶことにしました。そして迎えた1978年の第2回タヒチ航海が惨敗のその下、遭難という最悪の結果になったことで、彼はサイパンまで飛んでマウ師に弟子入りを直訴したという流れです。

 また同じくPVSのウェブログによれば、2004年の10月にマウ老師がハワイの教え子たちをカホオラヴェ島に集めて、今後は大航海に出る時は必ずここで祖先の航法師たちの魂に祈りを捧げてから出発しなさいと教えられたのだとか。だからこれだけカホオラヴェ島での儀式に拘ったんですね。

 儀式では祖先神(k??puna)が呼び出されてホクレアとアリンガノ・マイスへの祝福を懇請され、さらにポリネシアの海の神カナロアに「海の途」を開いてもらう為の祈りが捧げられたとあります。そして、小さなカヌーの模型が、捧げ物(アワ、石切場の土、タロ、珊瑚)を積んでケアライカヒキ海峡に流されたと。

 カホオラヴェ島の画像(儀式の画像ではありません)はこちら。
http://www.bishopmuseum.org/research/cultstud/kaho/pictures.htm