2章「オランに送られた100人の兵士たち」(前半)
アラトリステは兵士になったイニゴの生活態度が気になっていた。
そもそもイニゴが軍人になることは、イニゴの両親も望んでいなかったし、アラトリステもまた「剣よりもペンの方が射程距離は長い」とイニゴに言い聞かせてきた。それ故、ケベードやペレスに頼んで読み書きを教え、本を与えて文学に親しませてきたのだった。現にイニゴは一介の傭兵にしては希有なことに、文学を好む若者となっていた。イニゴもアラトリステらの気持ちは痛いほどわかっていたが、持って生まれた戦士としての資質には抗いようもなかった。今やイニゴは背丈でもアラトリステにひけを取らない、強靱で剽悍な肉体を持つ若武者となっていた。
問題は、せっかく手にした金を「飲む打つ買う」ですぐに使い果たしてしまうという傭兵の悪癖に、イニゴもまた染まってしまったということである。もちろん若き日のアラトリステも宵越しの金は持たない生活であったが、アラトリステの場合はもっぱら深酒で金を使ってしまったのであって、賭け事には昔から興味は無かったし、女は金で買うまでもなく向こうから寄ってきていた(今も)。
メリリャに向かうガレーの船尾で、日没直後の海を見つめるアラトリステにイニゴは話しかけた。
「少しは金が入りそうですね」
「皆、賭け事と酒と女であっという間に使ってしまうんだ。金を使わずに貯めていた軍人など見たことはない」
(え? 隊長の親友のコポンス兄貴は・・・・・?)
「私は違いますよ。そもそも船の上には酒も女も無いし、カードは禁止でしょう」
(なんて言いつつもナポリでは放蕩三昧だったイニゴであった)
「ナポリに戻ればわかりますよ」
メリリャは場末中の場末といった感じの寂れた砦だった。スペイン本国からの投資や補給も最低限で、何故この砦がモーロ人たちに奪回されずに持ちこたえているのかが不思議に思われた。ムラタは奴隷たちを荷揚げすると、夜になる前に出航してオランを目指した。
オランはメリリャよりはずっとマシな港町だった。ナポリほどではないが、遊郭もあった。傭兵や船員たちはすぐさま女を買いに街へと繰り出していった。
アラトリステとイニゴは城門で意外過ぎる人物と再会した。故郷のウエスカに帰って農場を始めているはずのセバスティアン・コポンスだ。コポンスはニクラースベルヘン号襲撃の分け前を手に故郷に向かったはずだったが、サラゴサで冤罪まがいの裁判に巻き込まれ、弁護士や裁判所に有り金を全て巻き上げられていた。更に不運は続き、新大陸にでも渡ろうと引き返したセビリアの酒場で補吏2人に斬りつけて再び裁判となり、4年間の禁固刑か1年間のオラン駐留という判決が下った。
やむなくオランに流れてきたコポンスだったが、1年間の兵役が終わっても除隊は許されなかった。場末中の場末であるベルベル海岸に来たがる軍人はおらず、後任が見つからないという理由である。しかもコポンスたちに給料が支払われたことはついぞ無く、コポンスたちは敵対するモーロ人の集落を襲っては金目のものを奪って糊口をしのいでいるのだった。