クペとンガフエは、何故わざわざアオテアロアでタコ狩りをしなければならなかったのか

 やっと疲れる仕事が終わったぜ、ぜえぜえ・・・・・・・。

 さてと。

 2回連続でお送りした航海者クペの伝説(タコ編)。タコ編ということは他にイカ編とかカニ編とかブタ玉編があるのかというと、そういうわけでもないのですが、とりあえずああいったお話が(色々なヴァリエーションはあるにせよ)、マオリ社会で語り伝えられて来たわけですよ。

 それにしても、随分回りくどいお話だと思いませんか?

 このお話の眼目は、無論クペがアオテアロアまで行ってしまわなければいけない状況を創り出すことにありますから、それで大タコを登場させるのは良いでしょう。しかし、クペとンガフエはテ・ウェケを追ってアオテアロアに辿り着いた後も、時には二手に分かれたりテ・ウェケを討ち損じたりしながら転戦を続け、その間に南島の西海岸以外は殆ど探検しております。

 単にクペという英雄がアオテアロアを見つけた話をしたいのなら、アオテアロアに着いた所で適当にテ・ウェケをやっつけてお仕舞いにしたって良いじゃないですか。民族の起源を語るだけなら、それで問題無い。わざわざ話をダラダラ引き延ばす意味が無い。それよりも、クペとテ・ウェケの戦いに焦点を当てて、クペがいかに勇猛で知略に富んだ偉大な英雄だったかを語った方が、ハクが付くってもんですよ。

 では、何故マオリはそれをしなかったのか?

 来年、オークランドで開催される航海カヌー展の考証を務めている人類学者ジェフ・エヴァンスは、この伝説の持つ、このようにめんどくさい構造を、「マオリが航海の知識を子孫に伝える為」と解釈しています。おそらく、より古い時代には、クペの伝説はより詳しく語られていたはずです。ハワイキからアオテアロアへの航路についても、より詳細なディテールが語られていたでしょうし(どの星を目印にするのか、どの季節にどの風に乗れば良いのかなどなど)、クペとンガフエがアオテアロア全土を転戦する間にも、どこにどんな目印があってどんな地形があるのかを細かく描写した部分が語られていたでしょう。

 しかし、マオリは文字を持たなかったからそれを書き残しはしなかった。白人の人類学者に一族の秘中の秘たる航海術を洗いざらい話すお人好しも居なかった(現代でも戦争をやる上で一番大事なのは、地理の知識じゃないですか)。かくして、航海者クペの伝説のうち、航海術の知識を伝えた部分は失われたわけです。

 いや、もしかしたら、フランシス・コーワン師やマタヒ・ワカタカ・ブライトウェル、ヘクター・バズビーあたりは、そういった知識もある程度復元しているのかもしれません。としたら、それは来年の航海カヌー展である部分公開されるかもしれない。

 しかも、ホクレア号の日本航海が1年延期になりましたから、上手く行けば、日本にこの航海カヌー展が巡回してきた時あるいはその前後にホクレア号が来るということになるかもしれない。

 楽しみですよ。へへへ。