続きです。
かくしてハワイキから大ダコ追討の為に出航した二艘の航海カヌーは、現在アオテアロアと呼ばれる土地を発見しました。彼らが上陸したのは、ムリウェヌアMuriwhenuaの北です。ここで乗組員たちは水と食料を補給し、休息を取ることにしました。ンガフエとクペは相談して、ンガフエは引き続きタウィリランギ号を指揮して、テ・イカ・ア・マウイTe Ila a Maui(北島)の東海岸を南下しつつテ・ウェケを追撃することになり、クペは逆にマタホウルア号で西海岸から回り込んで、二艘の航海カヌーでテ・ウェケを挟み撃ちにすることにしました。
さて、テ・ウェケを追うンガフエのタウィリランギ号は、ランギ・ワカオマRangi Whakaoma(キャッスル・ポイント)にテ・ウェケを追い込むことに成功し、そこでクペの到着を待ちました。この時テ・ウェケが逃げ込んだ洞窟は、現在ではテ・アナ・オ・テ・ウェケ・オ・ムツランギ(テ・ウェケの洞窟)と呼ばれています。
やがてマタホウルア号がランギワカオマに到着すると、クペとンガフエは再び相談し、クペが自らテ・ウェケにとどめを刺しに行くことになりました。こうしてクペはテ・ウェケの洞窟に入っていったのですが、テ・ウェケも必死で抵抗し、クペの攻撃を交わしつつ、洞窟を脱出して、またしても逃亡してしまいました。二艘の航海カヌーは、再びテ・ウェケを追いかけました。
テ・ウェケを追う二艘の航海カヌーがテ・カワカワTe Kawakawa(パリサー岬)を交わした所で、彼らは天然の良港となった入り江を見つけたので、クペはこの入り江を探検しました。これが現在のワンガヌイ・ア・タラWhanganui a Tara(ウェリントン港)です。二艘の航海カヌーは、ここで船を修復し、しばらく休息を取ることにしました。乗組員たちは水漏れを塞ぎ、船体に亀裂が入った箇所を手当てしました(この辺、実感がこもっていますね。オリジナルの航海カヌーは船体が塗装されていないので、あまり長い間海中に浸けておくと傷んでしまうんです)。
船の手入れを完了し、充分に休息を取った二艘の航海カヌーは、ここで再び二手に分かれることになりました。タウィリランギ号はさらに真っ直ぐ南に下ってテ・ワイ・ポウナムTe Wai Pounamu(南島)を探検しつつテ・ウェケを追い、マタホウルア号は西側に回ってポリルアの近くの島でクペの家族を船から降ろし、再びラウワカRauwaka海峡(クック海峡)を通って、タウィリランギ号を追いかけました。
タウィリランギ号とマタホウルア号がテ・ウェケを捕捉したのは、ンガ・ウェツNga Whetuと呼ばれる岩場でした。テ・ウェケはこの岩場に二艘の航海カヌーを誘い込んで、沈めてしまおうと考えていました。襲いかかってくるテ・ウェケを見たクペとンガフエは、二艘の航海カヌーの距離を取って、タウィリランギ号とマタホウルア号の間でテ・ウェケを挟み撃ちにしました。マタホウルア号に乗っていたトヒランギTohirangiという戦士とンガフエがそれぞれテ・ウェケに槍を打ち込みましたが、テ・ウェケにはかすり傷しか与えられませんでした。逆にテ・ウェケは二艘の航海カヌーを足で捕まえて、転覆させようとしました。そこでクペは「ランガ・ツ・ウェヌアranga tu whenua」という銘を持つ彼の石斧を振りかざし、テ・ウェケの足を次々に切り落としていきました。
しかし、もはやここが殺るか、殺られるかの決戦場と胆を括ったテ・ウェケは、攻撃をゆるめません。一方クペは部下に命じ、テ・ウェケの頭に沢山の瓢箪を投げつけさせました。突然、瓢箪をぶつけられたテ・ウェケは、後ろに回られたかと勘違いして一瞬気を反らせてしまいました、クペはこのチャンスを逃さず、テ・ウェケの脳天に「ランガ・ツ・ウェヌア」を叩き込んで、ついにテ・ウェケを討ち取ったのでした。
戦いが終わると、二艘の航海カヌーは最後の決戦場となった岩場にチャントを捧げました。
こうしてテ・ウェケを討ち取ったクペとンガフエは、さらにテ・ワイ・ポウナムを探検して回り、この島の西海岸のアラフラArahuraではポウナム(アオテアロア特産のネフライトのこと。翡翠の一種。緑玉)を見つけました。テ・ワイ・ポウナムの探検を終えた二艘の航海カヌーは再び北に向かい、クペの家族と合流した後に、ホキアンガHokiangaの入り江からハワイキへと帰りました。
完