ハワイの海に蟹工船は浮かばない

 Tornosさんのウェブログは何故かマッキントッシュで日本語が書き込めないという場所なのですが、とても面白い指摘を含む記事が出たのでご紹介します。

 Tornosさん曰く、「ハワイにプロレタリア文学が見あたらない。」

 つまり、他の多くの旧植民地では、旧宗主国への政治的抵抗の一つの表現形態としてのプロレタリア文学というのが出てくるという段階があったのに、何故ハワイにそういうものが見あたらないのか、という指摘です。

 う~ん面白い。確かにハワイは火事場泥棒的にUSAに併合された国ですからね。しかも、(文学というものを殆ど一切読まない)私のごく乏しい知識では、プロレタリア文学の段階を過ぎると今度はポストコロニアル文学というのが出てくる。つまり旧植民地から先進国の大学に進んで色々学んだ知識人が、旧植民地の人間でありながらも、旧帝国主義諸国家の言葉や理論を使ってしかものを言えない。自分の故郷の言葉や思想をつかってものを考えられない、ものを書けないという、皮肉極まりない落とし穴を漏れなく踏み抜いて、その落とし穴の底で歯ぎしりしながらしたためる文学です。フランツ・ファノンなんて方が有名らしいです。

 そしてそういうドツボ循環を詠嘆したのがガヤトリ・スピヴァクの『サバルタンは語ることが出来るか』という本らしいです。ポストコロニアル理論なんて言います。こういう方々が好んで使うのが社会構築主義という考え方です。旧植民地は旧宗主国の言葉でしか語られなかったし、いざ旧植民地の人間が故郷のことを語ろうとしても、故郷の言葉では語れない。その時、旧植民地はつねに「やられ役」としてしか描写出来ない。それ以外の描写が出来ないような形で、予め旧宗主国の言葉が作られている。ずるい。

 そういう考え方です。どちらも読んだことないけど。

 さて、このような考え方が広まって来ると、それまでは旧宗主国に生まれて旧宗主国の大学で学位を取って旧宗主国の言葉で旧植民地について書いていた人類学者たちも、自分たちの事を反省して、「俺たちがものを書けば書くほどあなたたちのやられ役イメージは増殖していくんだね。正直スマンカッタ。」と言い出します。そして、今度はいかにして旧植民地のイメージが社会的に構築されて来たのかを研究しはじめたのです。

 こういうのがポストコロニアル理論の運動会です。 

 ところが。少なくとも私が知る限り、航海カヌー文化復興運動に関わっている知識人たちは、そういう、言うところのポストコロニアル理論というものに付き合わない。植民地化されて以降にハワイにもたらされた文化である現代フラやスラックキーギター、ウクレレなんてのも平気で自分たちの伝統認定をして、自分たちの事を語る為に利用しているように思えます。典型的なのが、ポストコロニアル文化人類学者のリネキンとの間に発生した「ニセモノ伝統」論争です。

 リネキンが「航海カヌー文化復興運動で使われている儀式なんか偽物だ。最近思いついたんだ。」と野暮な茶々*1を入れると、トラスクという先住ハワイアン系の学者が「黙れ下郎!」と一喝したのです。また、ホクレアが進水した時に執り行われたアワAwaを飲む儀式も、先史時代のハワイには遡れないというツッコミが入ったのですが、やはり先住ハワイアン系の知識人が「いや。私たちはこれが古代からの伝統であることを知っている。」と宣言しました。さらにハーブ・カネが付け加えて

「たしかに我々は古代ハワイアンが行っていたやり方を失ってしまった。しかしこの儀式そのものがあったことを我々は知っている。また今のやり方はトンガの人々からの贈り物なのだ。」

とまとめました。

 面白いですね。ポストコロニアル理論も善し悪しで、時と場合を選ばないで辺り構わず振り回す人が結構多くて迷惑がられていたりもするんですが、もう最初から一切そういうもんに付き合わない。すごくあっけらかんとしています。それはそれでアリだよなと思います。

 まあこういうのは程度問題で、過去の事を全部創作してしまうというのも危ないですし、実際にビショップ博物館の収蔵品が先住ハワイアンへの返還という名目で無秩序に持ち出されて行方不明になっていっているとか、ヘイアウだかなんだかわからない場所まで全部ヘイアウだと言い出す極端な方もいるとか、ややこしいとこではややこしい事になっているみたいですけどもね。でもそれはあの拗けて屈折しまくったポストコロニアル文学とは違うよなあ。なんか野蛮力みたいなものにまかせて突っ走ってる感じがするもんなあ。

 ハワイアン・ルネッサンスも1960年代の公民権運動から発展したマイノリティ運動の一種ですけれども、う~ん、どうなんでしょうねえ。もちろんUSAの中のマイノリティ運動でもポストコロニアル理論を大幅に取り入れた所はあるんですが。似たような立場でも沖縄はポストコロニアル知識人の宝庫ですし・・・。わからん。

 そういうお話、誰か仕事で考えている人居ないのかなあ。もしかしたらあれですかね。さあこれからって時(1978年)にホクレア遭難とエディ・アイカウの死というカウンターパンチを食らったので、あの果てしなく屈折してゆくポストコロニアル理論の育つ土壌そのものが吹き飛んでしまったのでしょうか。マイロン・トンプソンもそういう所を相手にしない人でしたしね。あるいは、文字を持たなかった(=ハードコピーの記録が残せなかった)事が何らかの影響を与えているのでしょうか。

 まあ実際には、色々な要素がちょっとずつ影響してたまたまそうなった、って事なんでしょうね。

*1 本来は旧植民地の人々の味方をするはずだった社会構築主義の手法が何故か彼らの邪魔をしてしまう現象は、ポストコロニアル文化人類学者の悩みの種みたいです。かく言う私も茂在寅男さんの理論あたりには片っ端からツッコミを入れているのですが。でも、旧宗主国で生まれ育った人があまり大っぴらに妙な過去を作っちゃマズいよね。ここ↓まで行くと流石に天晴れですけど。

木村鷹太郎の世界 ──『海洋渡来日本史』を読む──
http://homepage3.nifty.com/boumurou/tondemo/kimura/kimura00.html

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Main Page「ホクレア号を巡る沢山のお話を」
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