沖家室の寄り合い(その4)

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 さて、座敷に移動する松本さんに続いて私も隅の方に潜入。丁度、地元の漁師さんたちが固まっている一角でした。宴席の雰囲気は写真を見ていただきたいのですが、後からこの時の写真を見ると、人間の配置に問題が多少あった気がしますね。というのは、通訳が出来ることを誰もが知っている池田さんと内野さんがナイノア氏のすぐ近くに集まってしまっていたのです。ナイノア氏の隣にはホストである泊清寺住職の新山さんや漁師さんたちの代表者が居ますから、その通訳ということになるのでしょうが、配置的に二人は要りません。実は私もプロの仕事には及ばないまでも宴席の通訳程度なら出来るのですが、その私は最末席ですし(笑)、そもそも通訳の真似事が出来ることもあまり知られていません。

結局、最上席におられるナイノア氏の周辺にしか通訳が事実上居ない状態になっていました。

さらにナイノア氏から向かって左手にはモンテ・コスタさんやドクター・シェハタらクルーが固まり、その後に地元のおとうさんたちと私。ですから会話の輪がナイノア氏周辺、英語話者のクルー、漁師さんたちと私、反対側では内田さんと漁師さんたちという感じで、見事に英語話者と日本語話者が別れてしまっていたんですよ。

もう後の寄港地は宇和島と横浜だけなわけですが、これは気をつけた方が良いです。パーティー会場では得てして「こちらはクルーの皆さんの席」という風に決めてしまいがちなんですが(たいていステージ正面)、それをやるとクルーと地元の人の会話の輪が成立しない。あれは止めた方が良いと思います。理想的なのはクルーと地元の人間を万遍なく混ぜた初期配置にして、しかもクルーの近くに通訳が出来る人間を必ず置いておくこと。

あとはBGMや演奏のボリュームを控えめにすることも大事ですね。いくら通訳が出来るといっても日英両方のネイティブ・スピーカーではありませんから、後から学習した言語のヒアリングには一番神経を使わされます。そこにクラブみたいな音量で音楽が流れていたらどうなるか。コミュニケーションが阻害されてしまいます。私も某会場でモンテ・コスタさんに「何故、あなたはホクレアの写真を撮り続けておられるのですか?」という質問をしたことがありまして、「ホクレアの言うpeaceには実践が伴っている。口先だけのpeaceではない。だから・・・・」という、とても大事なところに差し掛かった時に、突然無茶苦茶な音量で演奏を始めた方々がいらっしゃいました。それで話は中断です。本当にがっかりしました。あくまでもパーティー会場であってライブハウスではないのだから、あの音量はありません。

というわけで、初期配置と通訳の位置に留意すること、SRの音量は控えめに。交流という一点に限って言えばこれがベストですね。

話が飛びました。

しばらく宴席を観察していたのですが、案の定、英語話者のクルーたちは漁師のおとうさんたちに話しかける気配がありません。何か質問など始めたら通訳しようとも思っていましたが、う~ん・・・・。せっかくハワイからこんな島まで来たわけだし、もっと貪欲になろうや、なあ。

それじゃというわけで、私が自分の興味にしたがっておとうさんたちの話を聞くことにしました。

「今はどうやって航法をしているんですか?」
「衛星ですわ。衛星で居場所が判る・・・。」
「GPSですか?」
「そうそう、GPS。あれは便利よ。」
「GPSで漁場の真上に船を寄せられますか?」
「出来る出来る。今は衛星の精度が上がったから。」
「衛星も縮尺が2段階で変えられるんですわ。それの細かい方を使うとね、何メートルって精度でいけるね。両方使える人間は少ないけどね。」
「山アテなんかはもう使わない?」
「使うよ。最後は山アテだな。」
「山アテが一番頼りになるっちゅえばなる。」
「魚探(魚群探知機)と山を使うのよ。」
「え? どういうことですか?」
「魚探を見るとこう、魚の群れが見えるわな。そうしたらそこで山を見て、憶えるの。」
「なるほど。」
「ただ、霧なんかが出てたら山は使えんしな。」
「その時は衛星?」
「そう、衛星。」
「霧が出ていても漁に出ちゃうんですか? 迷いませんか?」
「あんた、毎日毎日漁場に通ってみなさい。そら、ここがどこかなんちゅうことは嫌でも憶えるわな。」
「GPSはいつ頃から使ってらっしゃるんですか?」
「10年前くらいやな。」
「まあ早い所は20年も前から使ってたやろうけど、この辺は10年前。」
「じゃあその前は山アテだったわけですね。」
「そうやな。」
「ただ、魚探で魚を全部獲っちまうから、漁師ちゅうのもそのうち出来んようになるかもしれんな。」
「それはつまり、魚が減って漁師では食えなくなるということですか?」
「そう。」

山アテの実際とか魚探と山アテの組み合わせなんて話になると、もうただのマニアにはついて行けない話なので、これ以上詳しい話は聞きませんでした。ホクレアのクルーならもっと深い話も出来たのかもしれませんが。もったいないこってす。

船についても聞きましたよ。

「今はみなさんFRPの船を使ってらっしゃるんですか?」
「まあ木の船もおるけどね。例の金沢から来た人なんか木の船や。」
「それで随分沢山魚釣ってらっしゃるんですよね。ということは木の船よりFRPの船の方が魚が沢山獲れるというわけでも無いんですか?」
「そら関係無いわ。」
「プラの船はいっぺん使ってみたら、あんなええもんは無いで(笑)。」
「仏さんに備える造花だってそうや。仏さんに造花なんて、とんでもないって言ってた人が真っ先に造花使こて(笑)。」
「ほんでもう造花ばっかりや(笑)。」
「木の船はな、半月にいっぺんくらい、水から揚げて底を焼いてやらんといかんのよ。さっき待っとった場所に船が上がっとったやろ。」
「プラの船は汚れさえ気にせんどったら、なんぼでも放っといてええからな(笑)。」
「どんな船でもそのうち底に貝やらワカメやら付くんよ。」
「みそ汁の具に困ったら船揚げてな(笑)。」
「1年も放っといたら、底にワカメが付いて油代(燃料費)が倍になるわな。」
「掃除はされないんですか?」
「プラの船なら1年に1回が普通。1年に2回やったらマメな方や。」
「油代が倍になっちゃうまで放っておくんですか?」
「(笑)。」
「昔はな、艪で漕いどったから、せっせと掃除せんと船が重うて(笑)。」
「今はエンジンやからな。」
「油さえ気にせんときゃ、船は進むな(笑)。」
「おとうさんたち、艪は漕げるんですか?」
「当たり前や。」
「あれ、何で前に進むんですか?」
「ええか、水の中に艪の先がこう(手で形を作る)入っとって、こう(柄を)押すとこう動く。ほんでここで手を返して(手首の角度を上下に180度入れ替えて)引くと、こう動く。これの繰り返しや。これで前に進む。」
「いっぺん私も漕いでみたいんですよねえ。出来ますかね?」
「ああ、出来る出来る。」
「でもな、あれ最初は絶対に押すか引くかに余計に力が入って真っ直ぐ進まんの(笑)。」
「同じとこ、クルクル回ってな(笑)。」
「ほんでも、もう艪を作れる人もおらんようになった。」
「艪はもう終わりよ。」
「スクリュー直す鉄工所ももう島に無くなったしな。」
「今は他所から呼んでスクリュー直させとる。」

すいません。もう完全にホクレアとか関係無く、おとうさんたちとの話に夢中になってしまいました。やっぱ面白いっすよ。知らない社会で生きている人の話を聞くのは。最後まで聞きそびれたけどモンテ・コスタさんの話も面白かったしね。私がホクレアのクルーに若干の不満があるとしたらそこ。結局、今の彼らはガイドツアーに毛が生えたみたいなレベルでしか寄港地の文化や人間に触れていないように思います。

そりゃあ寄港地ではどこも熱烈歓迎してくれる人たちが沢山居ますよ。にっこり笑顔を交わして握手。そこまでは素晴らしいです。ですが・・・・解るかなあ。ホクレアのクルーの周囲に自分から集まって来る人とばかり話をしていてもね、予定調和で終わっちゃうんじゃないかと思うんです。もう一歩踏み出さないと。「は? ホクレア? 何ですかそれ?」って人を捕まえて話をしてみなさい。絶対面白いから。

でも、その為には相手の言葉で話すか通訳を使わなければいけないし、共通の話題を見つけて相手をノセていかないといけない。格段に難しいです。私は社会学のフィールドワーカーとしてその手の場数は踏んできていますから、コツは知っていますけどね。でも、例えば沖家室の寄り合いでは明らかに彼らにもそういうチャンスがあった。漁師のおとうちゃんの隣に座っていたクルーは私がかなり英語を喋ることを知っていた。

ここは行くとこでしょう。攻め込んでいかないと。歯がゆいですわ。