釣果報告合戦

 現在の最新エントリーは伴走船カマ・ヘレからの報告です。例によって釣果報告。今のところカマ・ヘレはケアラケクア湾を出る際に船長マイク・テイラー氏が上げたカマスサワラ1本だけだそうです。

 さて。このカマ・ヘレ。実はこの船が登場するまでには色々な歴史があったんですよ。日本ではあまり知られていませんが、ホクレアの伴走船の歴史を語る際に絶対に外せないのが、アレックスとエルサのヤクベンコ夫妻。

 ホクレアが最初にタヒチに行った1976年、ホクレアの伴走船を努めたのはメオタイという65フィートのケッチ(2本マストのヨット)。この船は1974年に台湾で建造されたものなんですが、これを建造したのがヤクベンコ夫妻でした。ヤクベンコ夫妻はオーストラリア出身のヨットのビルダーで、自分たちの家もヨット。それで太平洋をまたにかけて仕事をしていたんですね。呼ばれればどこへでも行ってそこでヨットを造った。それが商売でした。

 1976年にホクレアがタヒチに到着した時、ヤクベンコ夫妻も自分たちのヨット「イシュカ」でパペーテに来ていました。それでホクレアがタヒチ社会に与えた衝撃を目の当たりにする。その頃から拠点をハワイに移していたヤクベンコ夫妻は、1978年の遭難の後のホクレア修復にも関わり、1980年にはイシュカでのタヒチ往復航海伴走を買って出ます。この航海におけるイシュカの奮闘については『星の航海術をもとめて』に出てきますから、そちらをお読みいただくとして。
 
 この時の航海、より具体的に言えばホクレアをヒロに回航する途中でのあるアクシデントが、ヤクベンコ夫妻に完全なホクレアの伴走専用船の建造を決意させます。不意の暴風雨の中、イシュカのエンジン出力が不足していた為に危うくホクレアをバラバラにしてしまいかけた事件。ホクレアのクルーが死を覚悟しかけたワイピオ渓谷沖での出来事ですね。

 1985-87年のアオテアロア往復航海こそ他の船に行かせたものの、1992年のラロトンガ航海(太平洋芸術祭への参加)で満を持して登場したのが、カマ・ヘレでした。アレックスが1980年の経験から導き出したホクレアの伴走船の条件は多岐にわたります。

・あらゆる天候でもホクレアを曳航出来る強力なエンジンを備えていること
・ホクレアのウェイファインダーの視界を妨げない小型の船であること
・自船に加えてホクレアの分の非常用物資を積載できること
・ホクレアをサポートする人員の為の居住区画が充分にあること
・帆走のみでホクレアと同等の速度を維持出来ること

 建造当初のカマ・ヘレはデトロイト371というエンジンを積んでいました。これは(1980年のタヒチ航海往路でエンジン故障が発生したことも踏まえ)、単純で整備性が良く、経済的で必要充分な出力を持っているということで敢えて選ばれた、割と古い型のエンジンだったようです。もちろん現在のカマ・ヘレが搭載しているのはヤンマー提供の日本製エンジンですが。またイシュカはヤクベンコ夫妻だけで航海することが前提だったので、帆はあえて小型になっていました。そのせいで帆走のみではホクレアを追走出来ず、エンジンが壊れて後はホクレアに待ってもらうようなこともあったと言います。

 カマ・ヘレは1992年の就役以降、95年のマルケサス航海、1999-2000年のラパ・ヌイ往復航海とホクレアの伴走役を務めてきました。ただ、ご夫妻が高齢となった為、ラパ・ヌイ往復航海でご夫妻は伴走船の船長・航海長役からは引退。このラパ・ヌイ往復航海もナイノア氏がヤクベンコ夫妻以外に伴走船を任せられる人は居ないからということで、是非にと懇願して同行してもらったと言いますが。

 とはいえカマ・ヘレは後継者に引き継がれて、こうして今もホクレアとともに旅を続けているのですね。