荒木経惟に対する元モデルたちの告発についての評論家や編集者たちの言い訳が情けない

日本を代表する写真家として20世紀末から21世紀初頭にかけて大いに栄えた荒木経惟について、元モデルたちからの告発が三つ並びました。

 
最初は湯沢薫さん。
次がkaoRiさん。
最後に水原希子さん。
 さすがに3人が芸名と顔出しで告発してるんだから、荒木経惟はほぼクロでしょう。ひどいもんです。
 
 ところがこうした告発に対して、荒木経惟は黙殺。
 
 荒木経惟の周囲で商売をしていた人たちも、反省の弁を述べる立派な方もいらっしゃいましたが
 
 多くは逃げ口上です。例えば元編集者のこちらは本1冊ぶんくらい必要になるからノーコメントって言ってますが、じゃあ本書いたら良いじゃないの。
 
 高橋源一郎。ほぼ何も言っていないけど、雰囲気だけは何か言っているように見せている。
 評論家で荒木経惟の「私写真」コンセプトの増長に最も貢献したのは飯沢耕太郎だと思いますが、飯沢は4/11時点でノーコメント。伊藤俊治も清水穣も何も言っていないようです。
 
 で、唯一長文の見解を発表したのが戸田昌子なんですが、私これは責任回避ポエムだと思いました。
 
 
 
 まずこの「私写真」コンセプトが二枚舌なんですよ。
 
 荒木経惟が使った「私写真」というコンセプトは、私小説のアナロジーなんだから、そこに出てくる人はプライベートな関係の人でないと成り立たなかったからしょうがないという主張。

 

 ならその「私写真」を売るなよ。

 制作プロセスは「プライベートだからカネ払えない」で、成果物は商品として大々的にマスメディア通して売り捌くというのは二枚舌でしょ。アートとしてどうしても「私写真」を撮りたかったのなら、それ売る必要無いよね。もうインターネットある時代だったのから、インターネットにアップするだけで収益事業にしないやり方もあったし、その方がピュアだよね。筋が通るよね。

 

 それにさ、荒木経惟が妻を撮ったケースと、プロモデルとして活動している人を撮ったケースを「私写真」でまとめるのは詭弁ですよ。貧乏サラリーマンが奥さんを撮影して私家版の写真集作るのと、評論家やマスメディアと結託して大金を稼ぐ大御所中の大御所がフリーランスのモデルを妻の代わりに撮ってカネ払わないのと、「私写真」で同一カテゴリに放り込むのはね。実際、荒木経惟は会社作ってその写真売ってビジネスやってるんだから。陽子さんなんかもしも荒木経惟が先に死んでたら遺産わんさか貰えた立場の人やんね。経済的にも法的にも運命共同体でしょ。モデルになる意味合い違うよね。

 

 それに、共犯者とか言うならちゃんと利益山分けしろよ。相応の取り分を渡さないんなら、それは共犯者じゃなくて、搾取労働ですね。エシカルではないサプライチェーンで製造された工業製品と同じです。児童労働とか搾取工場とか人身売買によって作られた商品と同じもんですわ。私写真。

 

 

 ここほんと人文系のダメなとこで(私も人文系だけど)、アートはビジネスだってことから目を逸らすんですよ。

 

 あるいは、わかってるけど知らないふりをする。

 

 荒木経惟がひどい人かは全世界的な関心事ですよ。日本を代表する作家として大手オークションハウスでも売られているし、世界各地で回顧展も巡回した。ウィーン分離派美術館なんて凄いとこでね。

 

 その荒木がビジネス
マンとしてパートナーを搾取していたかどうかは、例えばユニクロやアップルやH&Mがサプライチェーンに児童労働・搾取労働を入れていないかどうかと同じくらい大事な話。

 

 アーティストにもクズは多いのは事実かもしれない。でもアーティストだからクズでも許されるなんてことはありません。アーティストだろうが企業だろうが社会的影響力の大きな事業者は、その影響力のサイズに応じて社会的責任を問われ、クズならこいつらクズやんと言われなければならない。

 でないと、世の中が進歩せんからね。

 

 「私写真は終わらなければならない」とか「女たち、女たち、女たち」とか「射程」とかのポエム語でごまかしてんじゃねーよ。

 

 自分が経営者だったとして、部下がモデルを不当に扱っていたのが発覚したらどうする?

 自分が中間管理職だったとして、外注先がモデルを不当に扱っていたのが発覚したらどうする?

 自分が外注業者だったとして、現モデルの権利が守られていない現場に居合わせたらどうする?

 

 これはそういう話です。

 

 良識ある市民として、あるいは企業の社会的責任として、速やかに然るべき対処をして会社と自分を守らなければいけない。それが当たり前ですよビジネスパーソンなら。そしてアートはビジネスなんだから。これはビジネスモデルとしてダメダメでした、もう終わらなければ、じゃなくて、そもそもビジネスとして論外でしたと言わないと。それを知ってて今まで黙ってたなら、黙ってた私もクズでした出直しますと素直に言わないと。

 

 これは有名人バッシングとかじゃないんです。

 親事業者が下請業者を不当に扱った案件。

 あるいは技能実習生の労働搾取に類似の案件。

 荒木経惟は有名人だからバッシングされているんじゃないですよ。有利な立場を利用して不当なビジネスをしてきたから非難されているんです。

 

 それが許された時代だった?

 

 んなわけ無いでしょ! やられた方は苦しんでいた。やった方を取り締まる仕組みが無かったからやり得だった。それだけです。

 

 単純な思考実験してみましょうか。

A) 荒木経惟がモデルに性的虐待をせず、妥当な報酬を支払って作品制作をした。

B) 荒木経惟がモデルを性的に虐待し、妥当な報酬を支払わずに作品制作をした。

 

 どっちが社会に「良さ」を生み出す行動ですか? その「良さ」の量は2018年と1998年で変わりますか?

 1998年だろうが2018年だろうが、性的虐待も搾取も無い方が良い世の中でしょう。なら、そもそもダメ案件だったんです。だいたい1998年なんてフェミニズムやポストコロニアリズムが日本で普及し尽くしてそろそろ飽きられているような時代ですよ。その頃にはもう、親方それはもう止めた方がって周囲が止めなきゃいけなかったでしょ。

 

 言い訳は止めましょう。

 まともなビジネスパーソンなら契約書を作るのは当たり前。

 年長者として荒木経惟からきちんとした契約書を提示するのが当たり前。

 モデルを虐待しないのがプロとして当たり前。は? 虐待しないと撮れない表情がある? それを虐待せずに撮るのがプロでしょ。

 ハードな撮影であればあるだけ、モデルの心身の健康と権利と安全に考えられる限りの配慮をし、十分なギャラを払うのが当たり前。

 ビジネスパートナーが困っていたら誠実に耳を傾け、誠実に対応するのが当たり前。

 当たり前のことをしてこなかっただけ。社会人失格はどっち? ねえ、どっち?