2巻に訂正箇所が見つかりました

 すみません、まだ見落としていた誤訳がありました。1文字違いで大違いといいましょうか・・・・。

161頁

×「例えばベネチアでオスーナ公爵を奇襲した際」
○「例えばベネチアをオスーナ公爵が奇襲した際」

 ここは、ケベードとオスーナ公爵の話です。オスーナ公爵の親友のケベードが何故オスーナ公爵を奇襲してしまうのかという指摘をいただいて発見しました。申し訳なし。

 罪滅ぼしというわけではないですが、何でベネチアをオスーナ公爵が襲うのかご説明しておきます。まずオスーナ公爵、この人は第三代オスーナ公爵のペドロ=テレス・ヒロンという人物なんですけれども、1616年から4年間はナポリ副王という地位に居ました。当時スペインが持っていたイタリア南半分の代表取締役ですね。

 それでこの人の手元にはそれなりに強力な海上戦力があって(実は隊長もナポリのスペイン海軍に参加していたことがありますが、オスーナ公爵の副王就任前にナポリを離れています)、地中海に展開していました。当時の地中海の状況はというと、スペイン対オスマン・トルコ&ベネチアという対立の構図。

 おいおいレパントの海戦の時と「対」と「&」の位置が違うじゃないかって話ですが、スペインとしてはイタリア半島の付け根あたりをがっちりと押さえておきたかったんですね。ミラノは持っているけれども、そこから神聖ローマ皇帝領であるオーストリアに抜ける、いわゆる「スペイン街道」は、フランスやスイス、ベネチアなどの勢力に常に脅かされていましたから。出来ればこの地域の最大勢力であるベネチアには潰れて欲しい。もちろんベネチアは冗談じゃないとなる。

 となれば、当然ベネチア的に見て敵の中ボスはオスーナ公爵ということになります。ちなみにベネチアもオスーナ公爵を襲ったことがあるようです(笑)。

 一方のケベードですが、彼はオスーナ公爵の使者としてベネチアに行っていたことがあるらしいんですどうやら。「物乞いの振りをして追っ手を撒く羽目になった」というのは、多分この時なんじゃないかと思います。

 ちなみにこの頃のスペインとベネチアの対立の詳細は中々資料が無くて、私にもまだ良く理解出来ておりません。当時のスペインの敵は手強い順にフランス、イングランド、オランダでしたから、地中海戦線は主正面じゃなかったんですよ。だからなかなかこちらを解説した資料が出てこない。どなたか詳しい方がおられましたら、是非とも解説をいただきたいものです。