5巻が発売されました。
5巻の舞台はマドリード。当時、ヨーロッパ最高の質を誇ったスペイン演劇界が今回のテーマです。ロペ・デ・ベガ、ティルソ・デ・モリーナ、カルデロン・デ・ラ・バルカなど綺羅星のごとく出現していた劇作家たちの人間関係や演劇界の舞台裏などの話が要所要所に挿入されていて、時代も地域も全く違う現代日本に生きる私たちにも、17世紀初頭のマドリードの劇場の雰囲気が伝わってくる一冊です。
特に私が訳していて楽しかったのは、以下の下り。主人公であり語り手でもあるイニゴが、シェークスピアとロペ・デ・ベガを比較するのですが・・・
「実は私は後にイングランドに渡って英語を学び、ギレルモ(ウィリアム)・シェークスピアの作品を読んでみたことがあるし、シェークスピアの戯曲が芝居として上演されるのを観に行ったことさえある。ロペとシェークスピアを比較してみると、登場人物の造形や内面描写においてシェークスピアは一枚上手だと私は思う。しかし独創性や筋立ての妙、多彩な小技、内容の楽しさ、個々の作品の完成度で言えば、ロペを凌駕する者は存在しないだろう。
登場人物一つ取っても、恋人たちを捉えた疑心暗鬼や不安、腹黒い使用人の心中を、シェークスピアがロペほど巧妙に描けたとは私には思えない。例えばロペのあまり知られていない作品で『ビセオ公爵』という悲劇があるが、この作品がシェークスピアの書いた悲劇に劣るものかどうか。確かにシェークスピアの戯曲には普遍性があって、世界中の誰もが共感しうるものであるが、ロペが劇作という新興芸術において私たちの世紀のスペインを精密に描ききったことも事実である――スペインらしさという点でロペの作品と同じ高みにあり、普遍性という点でシェークスピアの作品と同じ高みにあるのは『ドン・キホーテ』だけであろう。」
という具合です。俺たちのロペはシェークスピアにも全然負けてないんだぞと。著者はシニカルな熱烈愛国者ですからね。スペインは最低だけど最高なんだと、断固言い張る。
「様々な国を見渡してみても――それがシェークスピアの国だとしても同じことだ――、自らの生活習慣や価値観、言語がどのようなものであるかということを、スペインほどに深く理解出来る国は見当たらない。これもまたロペ、カルデロン、ティルソ、ロハス、アラルコンらの手によって、世界最高の質を長い間維持されてきたスペイン演劇の存在故である。この頃にはイタリアやフランドル、新大陸、さらには遙か海の彼方のフィリピンに至るまでスペイン語が話されていたし、フランス人のコルネイユは自国で劇作家として成功する為にギジェン・デ・カストロの芝居を真似する有様であった。シェークスピアの祖国などはまだ後進国の一つでしかなく、老いて疲れたスペインという獅子の踵を囓っている、善人を装った海賊の島でしかなかった。」
まあ私も英語以外のヨーロッパ語は読み書き出来ないんですが、複数のヨーロッパ語が使える人の意見で多いのは「英語はヨーロッパ語の中の異端だ」というものですね。格変化が殆ど無いので、文章の論理構造が文脈に依存する形になっていて出鱈目だという(確かに私もそう思います。日本語もそうなんですが)。語順を精密に考えて書かないと、複雑な論理構造の思考を表現出来ない。
一方、スペイン語もそうですがフランス語、ドイツ語、イタリア語など他の多くのヨーロッパ語は英語より遙かに精密に、複雑な話を記述出来るのだそうです。また、確かに英語は現代のデフォルトの世界語ではありますけれども、言語文化の豊かさという点で見ると特に突出した存在ではないとも。
実際、この作品もスペイン語で書かれているわけですが、英語圏の文学に知名度以外では何にも負けて無いですよ。是非ともお読みになってください。
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