ピジンを話す偉い人

 先ほどmiyeloさまからえぐい質問が入ったので冷や汗をかいております。

 1巻でアラトリステに助けられる人たちのスペイン語のレベルはどうなんだと。

 私にはよくわからないのです。というのは、翻訳チームの中での私の担当は、既に日本語に近いものになった訳文を、美しい統語構造とリズムを備えた日本語にすることだからです(それと訳語の選び方の検討、訳注の付加)。ですからこの辺りは、より上流で作業をされた佐々木いずみさんか今西直子さんの方が、より適切に判断してくださると思います。

 というだけではサービスが足らないので、以下はこういった「カタコトの外国語を話す偉い人」を訳文において表現する技について。

 実は最近、別の仕事で似たようなシチュエーションを経験しました。ある辺境からやってきた伝説の老師が、アメリカの若者たちに秘伝の技を教えるというシーン。老師はカタコトの英語をしゃべっています。というか、語彙・文法とも非常に限定された英語モドキです。言語学におけるピジンの概念に入るのかどうかは微妙なところですが、ともかく「アラトリステ」1巻の例の人に近いシチュエーション。

 しかしですね。老師は老師だけあって非常に威厳があるんですよ。実際の老師を知る私の友人のお話では、実はお茶目なじいさんらしいのですが、作中では威厳ある老師として描写されている。また事実としてアメリカの若者たちからは崇拝に近い尊敬を受けているわけです。

 そんなお方のカタコトをどう日本語にするのか。ちょっと難しいですよこれ。カタコトだけど威厳に満ちていないといけない。それで私がどうしたかというと、とりあえず文法は原文そのまま、単純に日本語に移します。間違えているところはちゃんと間違えたまま日本語に。口調も無愛想な感じで参りましょう。

 とはいえ、これだけでは今ひとつ雰囲気が出ません。次に翻訳家がいじるのは三人称です。イングランドと違って、アメリカ国内で話される英語の三人称単数形なんてheとsheしか無いわけですが(偏見)、幸いなことに日本語には無数の三人称がございます。その中からなるべく発話者が目上の存在に聞こえるような三人称をチョイスするわけです。

 これでかなり雰囲気が出てきましたね。最後に翻訳家が使った姑息なエフェクトは、話し相手の口調をいじるというものです。アメリカ人が話す英語に尊敬語なんかあるわけないのですが(偏見の上塗り)、これが日本語に変換されるときには、何故か、アニメの一休さんが和尚さんに話しかけているような、非常に謙った口調にスリ替えられているわけです。

 こうして出来上がったやりとりを読むと、不思議なことにカタコト英語の偉い人は、本当に凄く偉い人のように感じられるわけです。

 いや、実際に文句無く偉大な方なんですけどね。老師。