本日放送されたTBSの番組は、ケアリイ・レイシェルをクライマックスに持ってくる作りで、移民の話は無かったですけれども、なかなか良かったですね。もう少し時間使って作ってくれたらより深く味わえたのですが。
さて私はあの番組を見ながら、もう一つの「涙そうそう」のカヴァー・バージョンを思い出していました。夏川りみのだろうって? ちがいます。歌詞が違います。日本語でもハワイ語でも無い言葉で歌われる「涙そうそう」があるんです。CDにはなっていません。CDにはなりません。CDにすることが出来ない言葉で歌われる「涙そうそう」。
話は少し飛びますが、カウアイでクムフラに率いられて踊られている古典フラのシーンがありましたよね。その時の説明で「フラの動作には全て意味がある」とありました。フラの動きは一つ一つが「海」とか「人」のような概念と対応しているそうです。手話みたいなものなのか。違います。手話には文法と音韻がありますが、きっとフラには文法や音韻が無い。言語が言語として存在するためには文法と音韻が無ければいけません。そして手話には文法も音韻もある。そういう事がわかってきたのがここ40年くらいの事です。
この手話における文法・音韻の発見は、手話を使う聴覚障害者の世界に巨大な衝撃をもたらしました。それまで手話は言語として認められていなかったのですから。そして、手話こそが自分たちの言葉であり誇りである。そういった考え方が生まれました。手話を母語とする人々のことを日本では「ろう者」と呼びます。
私はケアリイ・レイシェルの「カ・ノホナ・ピリ・カイ」を見ながら、友人の高木理叶さんのことを思い出していました。高木さんはプロの手話シンガー・ダンサーです。そして手話を母語とするろう者です。私は高木さんが日本手話で歌う「涙そうそう」のことを考えていたのです。
高木さんは新潟県の長岡ろう学校出身です。ご実家もその辺りにありましたが、中越震災で実家は破壊されてしまいました。震災の直後に予定されていた母校の長岡ろう学校の開校100周年記念式典では、高木さんも出演して後輩達に歌や踊りを見せるはずでしたが、それも中止になり、長岡ろう学校も避難所の一つになりました。高木さんは長岡ろう学校と故郷の為に、所属する劇団「きいろぐみ」の人々を誘ってチャリティライブを行いました。そのライブでも「涙そうそう」は歌われました。
さて、ろう者もまた先住ハワイアンたちと同じように、ろう学校では自分たちの言葉である(あるいは言葉となりうる)日本手話を禁止され、日本語を強制されてきた歴史がありました(1990年代以降、日本のろう学校では徐々に手話が解禁され、現在では積極的に手話による教育法も研究されはじめています)。しかし近年では日本手話の再評価が進み、ろう者たちのアイデンティティの核心、最も大切なものと考えられています。高木さんはろう者のアイデンティティの核心である日本手話と歌や踊りの世界を融合させようと努力しておられます。
私はある時、手話を全く知らない人々の前で高木さんが「涙そうそう」を歌うのを見たことがあります。高木さんの美しい手の動き、豊かな表情は、言葉の壁を越えて観客の心を動かしていました。高木さんが歌い終わった後、観客から漏れた感嘆の溜息や賞賛の呟きは、残念ながら高木さんには聞こえなかったのですが。
みなさんももし機会があれば、是非、高木さんの「涙そうそう」をご覧になって下さい。
高木理叶オフィシャルウェブサイト
http://www.can-d-takarika.com/
==
Main Page「ホクレア号を巡る沢山のお話を」
http://www.geocities.jp/hokulea2006/index.html