周防大島町でのパーティー

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 私は椋野漁港の船だまりを見物していくことにしました。丁度干潮の時間帯で、誰かが潮干狩りをしています。話しかけると中国の方でした。仕事で周防大島に来ておられるそうです。カニやサザエを捕っておられました。と、2人のクルーが通りがかります。ティミ・ギリオムさんともう一人でした。漁船を興味深げに眺めておられたので、この島の漁民が昔ずいぶんハワイに行ったんですよという話をしました。

 さて、パーティー会場です。屋外なのですが結構気温が下がってきていて、アロハシャツの周防大島町職員さんたちは寒そうです。パーティーは6時半に始まる予定だったのですが、開始が少し伸び、そしてポリネシア航海協会会長の話が非常に長かったこともあって、乾杯になったのはなんと8時でした。なお、ナイノア氏のスピーチの最後には故カパフレフア船長への黙祷も行われたことをご報告しておきます。

 なお、後でマイク・テイラー船長にそっと尋ねたところ、「ナイノアのスピーチはいつも長い。あれを止めさせる方法は誰も知らない。」と言ってにやりと笑っておられました。

 私はチャド・パイション船長とナイノア氏に近づき、「アイヌのメッセージは読んでいただけましたか?」と伺ったところ、ナイノア氏から「たしかに読みました。大切なメッセージだと思いました。そもそも最初にホクレアで日本に来てくれと私に申し出られたのは、アイヌの方々なんです。あれは屋久島で星川淳さんの家に滞在している時でした。後ほど私から返事を出しておきましょう。」とのお言葉をいただきました。何とか上手く行けば良いのですが、あとは流れですね。然るべき流れが生まれれば、然るべきところに流れ込むでしょう。

 パーティーでは沖家室の伝統的な釣り針「カムロ針」がクルーにプレゼントされ、クルーからはハワイアン・コアで作ったパドルとホクレアのパネルやCDが贈られました。また「鯛の里」松本さんからはナイノア氏に「カワノ・ヨシオ氏に関する調査報告書」が手渡され、まだ調査は続いているので、また何か判ったらご連絡しますとの約束が交わされました。逆にナイノア氏からは「実は私はヨシの家があったところから石を二つ持ってきました。ヨシのルーツの土地が見つかったら、そこの土地の聖所にその石を奉納したいと思っています。ですからヨシのルーツの土地が見つかるまで、これをあなた方にお預けします。」という話がありました。

 いよいよ宴もたけなわです。と、会場の外から私を呼ぶ声がします。岩国基地の海兵隊員です。

「どうしたの?」
「実はマイク・テイラー船長に会いたくてここまで来たんだ。だが俺達は招待されていないから会場に入れない。すまないが船長をお呼びしてもらえないか?」
「わかった。」

 というわけでマイク・テイラー船長をショーンさんのところにお連れしました。船長は「何やってるんだ、入れよ!」と声をかけたのですが、あくまでも一線を守る海兵隊員たちです。私は実行委員長さんに「せっかく遠くから来られたんだし、内々で入れてあげることは出来ないですか?」とお願いしたんですが、残念ながらこれは実現しませんでした。ただ、町の職員さんたちの中には、もっとオープンでやるべきだという意見もあったそうです。会場の外では、海兵隊員たちと話し込むクルーの姿がずっと見えていました。

 私は荒木さんと内野さんに改めてご挨拶して少し話(というかとあるお願い)をしてから会場を辞しました。宿が遠いものでね。何と宿の出入りの酒屋さんが軽トラで迎えに来てくださいました。「こういうのは持ちつ持たれつよね。だからあんた、この宿良かったよ~て宣伝してくださいや。」

 わかりました。宣伝しましょう。「瀬戸内荘やまもと」さん。本当に皆さん親切です。周防大島町に滞在の際は是非こちらに。