分岐点まもなく。

 今日が5月の15日ですね。あと一か月でホクレアは横浜までの日本航海を終えてハワイに積み出されます。「ホクレア号航海ブログ」の翻訳作業もあと1ヶ月ちょいでしょう。

 それでですね。私は。「ホクレア号航海ブログ」が終わったらそれを区切りとして、ホクレアという船との関わりを一旦終わらせます。本当に。航海カヌーマニアとしての趣味は続くけど、それはもう100%個人の趣味。それにね。太平洋に数多ある航海カヌーの中でも私が最も関心を持っているのはホクレアじゃなくてヴァカ・タウマコなんですよ。あるいはアリンガノ・マイスとかラモトレック島でメッツガー兄が建造しようとしている船とか、そういう辺り。私の中でホクレアという船の現在への関心は、相対的に言えばさほど高く無いんです。ホクレアの活動が個人的に一番面白かったのは1980年代だし、範囲を広げても1999年のラパ・ヌイ航海までだな。

 もちろん、ホクレアは私個人の英雄であるエディ・アイカウや私の敬愛するウィル・クセルク先生、マウ先生の青春の船だから大いに尊敬はしています。でも彼らは言わば過去の英雄ですしね。加えて言えば、彼らへの敬意は『星の航海術をもとめて』と「ホクレア号航海ブログ」の翻訳という形で示せたとも思います。だから私は横浜で「ホクレア」というプロジェクトから降ります。この日本航海によって多くの方が「ホクレア」というプロジェクトに新たに乗り込んだと思います。それは私の切なる願いでもありましたが、この願いは成就しつつあると感じます。だから私は降りる。これまでにもベン・フィニー先生やウィル・クセルク先生がホクレアに乗り込み、そして降りてきた。そしてその先の人生に進んでいった。次は私が降りる番だということです。

 それでどうするのか。私は思うのですよ。そろそろ自分はこの船から学んだことを実践に移す時期だろうと。教科教育学・音楽学の研究者として、あるいは一市民として。だから私の向かう先は公教育の世界です。海じゃないです。学校。いずれ息子も学校に通う日が来るでしょう。そうしたら私は地域の小学校に協力してそれをより良いものにしていくつもりです。今日、完全に心が決まりました。荒木さんの日記、そしてこの文章が決め手でしたね。

http://edu.oita-ed.jp/kyouikunohi/kouenkiroku.pdf

 この文章は教科教育学の研究者としての私が見聞きして知っている現在の日本の公教育の課題、そしてその解決の方向性について、99%私が同意出来るものです。クレーマー化した保護者、猫の目の「教育改革」で疲弊しきった教職員、壊れていく公教育。それを回復する道は一つです。学校を地域の公共の財産と位置づけて、学校を大切にすることです。教職員を守り育てることです。地域と学校の信頼の絆を結び直すことです。私が次に取り組みたいのはこれです。今や私が一番大事にしなければならないのは、我が子を育てる場である我が町です。

 私はホクレアや「ヴォヤージング・オハナ」の実践を教師に(そして反面教師にも)して、そちらの道に歩き出します。あと1ヶ月。ホクレアとともに過ごす最後の1ヶ月。思い切り楽しんで行くつもりです。