ドイツの遍歴職人とグローバル人材に違いはあるのか

昨日読んだ論文

藤田幸一郎「18世紀ドイツの職人遍歴」一橋論叢、1991

中世から近世にかけての(現在の)ドイツでは、職人が親方になる前の段階として、修行した工房のある都市を出て各地を遍歴しながら、行く先々の工房で仕事をするという制度がありました。1箇所での仕事の期間は数ヶ月から、長くても1年。そうやって各地を巡りながら、縁あって親方になれた都市に根を下ろす。

これは、必ずそうしなければいけないという制度です。

イタリアやフランスやイングランドなど周辺の国では、職人は見習い、職人、(株に空きがあってそれを買う資金もあれば)親方という順序で、同じ都市で階梯を上昇するのが普通だったのですが、何故かドイツにだけは遍歴が制度によって強制されていました。

その理由は色々あって一つには絞りきれませんが、この論文では、労働力のバッファー機能を指摘しています。

職人修業を終えた人材の一定割合が常に国内の諸都市を循環しているので、職人の余った都市から職人の足りない都市への労働力の移動がスムーズに実現します。また、常にある割合で求職中の人材が発生するので、失業率は上がり、求人倍率は下がることになります。

その失業中の遍歴職人は、各都市の同業者組合、例えば印刷職人なら印刷職人組合に仕事を紹介してもらうか、求人が無い場合は当座の旅費を支給されて、次の都市へと向かう。

最後まで親方になれずに高齢化し、もう仕事はせずに組合からもらう旅費で旅を続けながら、死に場所を探すという職人も多かったようです。

この制度では、故郷を出た段階で親兄弟とはもう二度と会えないのが前提。運の良い人だけが故郷で親方株を手に入れて、親兄弟と暮らせたと。

詩的ではありますが、なかなかにハードな生き方でもありますね。現代のグローバル人材はどうでしょうか。遍歴職人と大して変わらない気も・・・・

さて、そろそろ怠け者モードの日々が終わりそうです。脳を働き者モードに切り替えなくては(´;ω;`)