「カピタン・アラトリステ」の旅

 さんざん引っ張ってくれた梅雨もようやく終わりが見えて来ました。いよいよ夏ですよ。夏と言えば。そう、夏休みですね。私にはそんなもんやって来ないのですが、世間は夏休みだ。

 さて、この夏はスペインで「カピタン・アラトリステ」の世界に触れてみたいという方もおられるのではないでしょうか。いや、言い方が違いますね。おられるようです。映画封切りに合わせて渡西。

 それにしても、スペインは広大です。いったい何を見れば良いのか? 迷いますよねえ? 大丈夫、まかせて下さい。以前私はスペイン仮想旅行CDロムを私家版で作ったこともあるくらいです。どこに何があるか、なんとなくは分かっております。

 それでは、「カピタン・アラトリステ」的スペイン旅行のツボを申し上げます。

「バルセロナには行かない。」

 な、なんだって~~~!? スペインと言えばバルセロナとアンダルシアでしょう。
 
 まあたしかにそうかもしれませんが、「カピタン・アラトリステ」に限って言えばそうではない。何となれば我らが隊長はあまりそちらの方で活動されないからであります。

 だいたいバルセロナなんて「カピタン・アラトリステ」の時代には歴史の波間に沈みかけていた町ですよ。というのは、バルセロナはその立地上、地中海方面の交易が活発になっている時に最大限の強みを発揮するんです。ですが「カピタン・アラトリステ」の時代といえばこれはもう新大陸交易の全盛期。アメリカからもたらされた貴金属類はグアダルキビル川を遡ってセビージャの地に陸揚げされておりました。一方、カタルーニャとアラゴンはハプスブルグ朝スペインの前期にはほとんど内戦まがいの政治対立を繰り広げておりまして、人口激減、商工業壊滅という体たらく。この時代に限って言えばカスティリア王国とアラゴン王国・カタルーニャ公国は、経済力や存在感で本州と四国くらい違った。ですから、ハプスブルグ朝スペインの戦費のほぼ全てはカスティリア王国が負担していました。

 気付いておられる方は少ないかもしれませんが、物語中でもアラゴンやカタルーニャなんか外国扱い、属領扱いですよみなさん。言葉だって違うしね。そう、我らがカピタンにとって祖国といえばカスティリア王国。同胞とはカスティリア王国人のこと。彼にとってアントウェルペン(アントワープ)とナポリとバルセロナは等しく「異国」だったはずです。

 ああびっくりした。・・・しましたね? よろしい。

 となると、隊長の気分を味わうにはどんな旅程がよろしいのか。よろしい、翻訳家が指南して差し上げましょう。いや指南じゃなくって翻訳家が指さすのは北なんだってば。とりあえず時間に無茶苦茶余裕がある人向けの旅程を組むので、ここから適宜不要と思われる部分を削除してください。

初日 バラハス空港(マドリ)着。タクシーかバスで市内へ。さっさと寝る。
二日目 王宮とその周辺散策(詳細は後日)
三日目 プラド美術館
四日目 ソフィア王妃芸術センターとティッセン・ボルミネッサ美術館
五日目 予備日
六日目 トレド*へ。パラドール泊。2巻で***がトレドに拉致られます。
七日目 トレドを散策した後、レンタカー(!)で国道N403を走り、サン・マルティン・デ・バルデイグレシアスへ。ここでワインを買って(1巻でケベードが飲んでいたのがここのワイン)からM501、M600と走ってエル・エスコリアル修道院*へ。
八日目 エル・エスコリアル修道院見学。「アラトリステ」の時代の王家はここが本拠地でした。
九日目 アヴィラ*で11世紀の巨大城壁を見てからN501でサラマンカへ。
十日目 サラマンカ*散策。
十一日目 サモラ、ベナベンテと走ってレオンへ。やって来ました隊長の故郷です。
十二日目 レオン散策
十三日目 ここからは二つのルートが考えられます。ここから巡礼路沿いに西へ向かってサンティアゴ・デ・コンポステラ*を目指すか、あるいは巡礼路を東に辿ってブルゴス*経由でバスクを目指すか。「カピタン・アラトリステ」を徹底的に追求するなら、ここは迷わず東です。というわけでこの日はブルゴス泊。
十四日目 ブルゴスから高速A1でヴィトリア。そこから北東にベルガラの町まで走って、そこから南に少し下ると、イニゴ君の故郷、オニャテの町です。オニャテ泊。
十五日目 オニャテ散策。
十六日目 ビルバオへ。話の種にグッゲンハイム美術館を見物。
十七日目 空路、マドリへ。そこで乗り換えて日本へ向かいましょう。