横浜シンポジウム報告その1:チャド・バイバイヤン船長

 最初に登壇されたのはチャド・バイバイヤン船長と内野加奈子さんでした。チャド船長が話し、内野さんがそれを通訳するという形です。チャド船長はハワイ諸島での航海カヌーの現状について話してくださいました。以下にその概要を紹介します。

「このミクロネシア・日本航海に参加したクルーの大半は、普段はホクレア以外の航海カヌーのクルーとして活動しています。現在、ハワイ諸島の主要な島の全てには航海カヌーが存在しており、彼らはそのどれかのクルーという立場です。ただ、ベテランのクルーの殆どはホクレアのクルーとして出発しています。」

 チャド船長はハワイ諸島に現在存在する航海カヌーとプロジェクトを一通り紹介して下さいました。

【オアフ島】
ホクレア(ビショップ博物館所有、ポリネシア航海協会が運航、フレンズ・オヴ・ホクレア・アンド・ハヴァイイロアが整備を担当)
イオセパ(ブリガムヤング大ハワイ校、フィジー出身のマスター・ビルダーが建造)
エアラ(小型の帆走カヌー。オアフ島西海岸の貧しいコミュニティで教育の為に使用されている)

【カウアイ島】
ナ・マホエ(まもなく完成する。全長72フィートで世界最大級のポリネシア型航海カヌー)

【マウイ島】
モオレレ(小型の帆走カヌー)
モオキハ(現在建造中。これも世界最大級の航海カヌーとなるはず)

【ハワイ島】
マカリイ(ナ・カライ・ワア・モク・オ・ハワイイが所有・運航)
ホクアラカイ(アハ・プアナ・レオが所有・運航)

 その他、アオテアロアには現役の航海カヌーが2艘(テ・アウレレとアオテアロア・ワン)あり、さらに建造中のものも1艘。クック諸島にも2艘、タヒチに2艘などポリネシア各地で航海カヌーが建造されたが、それらのきっかけとなったのはホクレアだったとのことです。補足説明しておきますと、チャド船長が紹介された航海カヌー群は全てホクレアのプロジェクトから派生したものですが、それ以外にも独自に航海カヌーを建造しているプロジェクトが少なくとも2つ(ヴァカ・タウマコ・プロジェクトとハワイキヌイ・プロジェクト)あります。チャド船長は話を簡単にするために敢えてその話はしませんでしたが、後で山下公園で飲んでいた時に確認したところ、チャド船長はそのいずれをもご存じでした。

「ハワイ諸島にそれだけ沢山の航海カヌーがあるということは、裏を返せばそれだけ多くの人々が航海カヌーを必要としているということです。ちなみに私はホクレアの次に建造された航海カヌー(オアフ島のエアラ)のクルーとして出発しました。この航海カヌーが出来た経緯は次のようなものです。私は友達と一緒に乾ドック入りしたホクレアの隣でビールを飲んでいました。その時に酒の勢いで、俺たちもひとつ航海カヌーを造ってみようという話になったのです。それで実際に航海カヌーを造ったのがエアラなのですが、あのグループの歩みは、ある意味でハワイの航海カヌー・コミュニティの歩みそのものでした。つまり私たちは航海カヌーの造り方も航海術も全く知らない状態から、一つ一つを学んでいったんです。」

エアラのウェブサイトはこちらです。
http://www.k12.hi.us/~waianaeh/PolyVoyage/ealahoku/eala/eala.htm

「ホクレアはこうして成功したプロジェクトとなっていますが、ここに至るまでには沢山の失敗や誤謬がありました。ホクレアが建造された1970年代半ば、ハワイでは三つの動きが同時に起こっていました。すなわち航海カヌーの復元運動、ハワイ語の復権運動、カホオラヴェ島の回復運動です。しかし1978年の航海でホクレアは大失敗してしまいました。ホクレアのプロジェクトは変化する必要があったのです。もしもあの時にポリネシア航海協会が自己変革をしていなかったら、現在のこの成功は無かったはずです。現在のホクレアの成功は、絶望の上に築き上げられたものなのです。」

「航海カヌーに関わる為には、非常に多くのものを犠牲にしなければなりません。それで家族が崩壊してしまったことさえあります。ちなみにホクレアのプロジェクトのスタート時から現在まで航海カヌーの活動に関わり続けているのは5人か6人ほどで、それだけ見てもいかに大変なことなのかが解るでしょう。」

 家族が崩壊してしまった、というのはおそらく1978年に船長を務められた故デイヴ・ライマン氏のことですね。デイヴ・ライマン氏はエディ・アイカウの死後、その責任を問う形でハワイ社会からバッシングを受けて、それがもとで奥様と離婚されています。

「私が船長を務めているホクアラカイは、ハワイ諸島の航海カヌー群の中でも少し変わった船です。この船を所有しているアハ・プアナ・レオはハワイ語による教育を実践する機関ですから、ホクアラカイの上ではハワイ語を使うことになっているのです。つまり、ハワイ語の保存・維持のために航海カヌーを利用しているのです。またホクアラカイが行っているのは《P to 20 Program》という教育プログラムなのですが、これは就学前児童(Preschool Children)から20歳までの長い期間を見据えたプログラムです。」

「《P to 20 Program》では、まず子供を海に馴れさせるところから出発します。次に泳ぎを教え、それから海でのリスク管理について教えます。ここまでが小学校段階での活動です。中学生、高校生にはカヌーで海に出ることを教えます。そうやって段階的に海について学んでもらい、最終的には航海カヌーのクルーとして海に出てもらうのです。ただし、このプログラムの目的は航海カヌーのクルーを育てることではありません。航海カヌーはあくまでも個人個人の人間としての土台となるものであって、私たちが彼らに望んでいるのは、一人前の職業人になるということなのです。どんな仕事を選ぶのかはそれぞれ違うでしょうが、私たちのプログラムで学んだ上で一人前の職業人になり、さらに職業人としてそれぞれが身に着けたものを、航海カヌーの世界にもたらしてもらいたいのです。」

 さすがに30年以上の歴史がありますから、ハワイでの取り組みはもう「いかにして航海カヌーを造り、維持するか」ではなく、「航海カヌーによって何をするか」という段階に進んでいるということですね。アハ・プアナ・レオではハワイ語と航海術に熟達した人間を育てつつ、そうして育てた人間をカタギの世界に送り出すことで、航海カヌーとハワイの社会の間に健全な関係を創り出そうとしているように感じます。

 これはとても大事なことです。フリーランスとヒッピーとマスコミと大学教員と学生だけでは駄目なんですよ。カタギの職業人が中心になってやれるもんじゃないと長続きしない。航海カヌーに限らず市民活動というのはそういうもんだと思います。

「このように、ポリネシアには現在非常に多くの航海カヌー・プロジェクトが存在していて、それぞれが特色ある活動を行っています。ただ、それらのプロジェクトがいかに協力しあっていけば良いのかは、これからも課題として残るでしょう。現在はそれぞれのプロジェクトの代表者が定期的に会合を持って今後のことを話し合い、出てきたアイデアの中から実現可能なことを選んで、順に取り組んでいます。」

 ちなみに2009年とも噂されているホクレア、マカリイ、ナ・マホエのアオテアロア航海ですが、後でチャド船長に聞いたところ、2009年というのは難しいのではないかとのことでした。その規模の大航海を2年置きに実行出来るほどの力は、まだハワイの航海カヌー・コミュニティには無いだろうと。カイウラニさんも2009年はあくまでも予定だとおっしゃってましたね。

「最後に皆さんに提案があります。私たちハワイの航海カヌー・コミュニティは、海の向こうにあるコミュニティといかに繋がるかということを、常に考えています。ですからハワイと日本のコミュニティがこれからどうやって繋がっていけば良いのかを、皆さんにも考えていただきたいのです。ただ勘違いして欲しくないのは、私はハワイの真似をしてくれと言っているわけではないという点です。日本には日本のやり方があるはずですから。もちろんハワイに来てハワイのやり方を学んでいただくことも良いのですが、それを日本に合わせて応用して欲しいのです。ハワイは世界各地の文化が入り混じった土地ですから、外部の文化をいかに取り入れれば良いのかという点でも、皆さんに学んでいただけるものはあると思っています。」