取り急ぎご報告

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photos by Tornos

 取り急ぎシンポジウムについてだけご報告します。

 えーと。驚きました。色々な意味で。企画しておいて何ですが、予想以上に面白かったです私は。私も知らなかったサプライズゲストがびっくりでした。内野さんと荒木さん遅いなあとか泣いていたら、もう控え室に来てますよって言われてですね。挨拶に行ったら・・・・なんとお二人と一緒に居たのはチャド・バイバイヤン船長!!!!!!

 なななななな何してらっしゃるんですか、船長?

「カナがちょっと来て何か話せって言うからさ(笑)。」

 いやそんな。そんなこと言われたらお願いしちゃいますよ私は。

「せ、船長。ならばですね。是非ともホクレア以外のハワイの航海カヌーのことを話していただきたいんです。というのはですね、日本ではホクレアという船ばかり有名になっていて、ハワイロアとホクレアを混同している人さえ居るんです。ですが・・・(しばらく単語が出てこなくて悩む)・・・・むしろホクレア以外の航海カヌーの活動こそ私たちは知るべきなのではないかと思うのです!」

 思い起こしてみれば、たしかにこういうことが起こる可能性無きにしもあらずでした。というのはですね、私は荒木さんと内野さんをシンポジウムに出してもらおうと考えた時点で、ホクレアの船長たちにシンポジウムの説明をしないといけないと思ったので、企画書の英訳を作って持っていったんですよ。

 最初はナイノアさんに渡して「これは良いね。是非やるべきだ。」と言っていただきました。言質を取ったと言いましょうか。じゃあお二人お借りしますからねということなんですけども。それから10日の夜のレセプションです。あれは鶏の唐揚げの大皿の前だったと思いますが、チャド・バイバイヤン船長にご挨拶したんですよ。

「チャド・バイバイヤン船長ですね?」
「君は?」
「加藤・・・」
「なんだ、君が加藤晃生か。」
「え、あ、いや、その、たしかにそうなんですが、何でそんな・・・。」
「だって君はポリネシア航海協会のブログに色々書いていただろう。私たちが奄美大島に寄港した話なんかポリネシア航海協会より早く知っていたから、何だこいつはと思っていたのさ。」
「つ、坪山さんは憧れの舟大工さんですから・・・。」

 何を言ってるんでしょうかね私は。まあそんなわけで少しバイバイヤン船長とお話をしていて、実は日曜日にシンポジウムをやるんですよという話もしたんです。そうしたら船長は非常に興味をお持ちになって、どんな人が出るんだとおっしゃったんですな。それで、1994年にヤップとパラオの間をマウ先生と一緒に航海したプロジェクトの日本側の大将とか、マウ先生の家にしょっちゅう上がり込んでマウ先生の伝記を書こうとしている方が来ますと。そうしたら、それは通訳は付くのかと聞かれたので、港湾局に相談してみますとお答えしました。

 これが日曜日。

 月曜日に港湾局M氏(本当にお疲れ様でした。男として尊敬出来る方ですよ)に相談したら、そこまでの予算は・・・・という返事。それで火曜日にぷかり桟橋に行った時に、取り敢えず英語の資料をお渡しして、「船長、残念ながら通訳は呼べないようですが、必ず内容の要約は後でお送りします。」とお詫びしました。

 そうしたら・・・・よもやこうなるとは。ですが、内容には自信がありましたからね。林さん、石川さん、拓海さん、藤崎さん+結城さん。話は絶対に面白い。問題意識を持った方ならきっと楽しめるはず。もしかしてこのシンポジウムはひょうたんから駒だったんじゃないかと感じました。

 蓋を開けてみたら。どうでしたかね。私は沢山ノート取りましたよ。誰の話も示唆に富んでいた。もちろんチャド・バイバイヤン船長の話もそうです。きっと私が一番楽しんだと思います。やって良かった。例えば拓海さんがやったヤップの石貨航海はハワイでは噂のレベルでしかなくて、今日チャド・バイバイヤン船長が初めて詳しい話を聞かれたのだそうです。チャド船長が驚いたようなエピソードも結構出てきた。林さんや拓海さんが見聞きされたミクロネシアでのマウ先生の立場も、内野さんやチャド・バイバイヤン船長はびっくりされることがあったそうです。日本の少数民族として、アイヌの結城幸司さんが本音を語ってくださったのもズシッと来た。

「今、日本では聖所をどこか他所に探して、それをお金を出して買うみたいな流れがあるけれど、でもそういうものは自分たちの足元にもあると思います。俺たち(アイヌ)も日本の人たちも、ホクレアから学ぶべきはそういうことなんじゃないですか。」

 そうだと思います。というか結城さんが核心中の核心を一撃でブチ抜いて去って行ったので、最後の討論が楽でした。結城さんがあれ言ってくれたからそこはまとめなくて良いやみたいな。

 もう一つの収穫は、ここでまた色々な人を繋げられたことです。何と石川直樹さんだけは全てのシンポジストと知り合いだったんですが、それ以外の皆さんは必ずしもそうではなかった。今日あそこで内野さんや荒木さん、チャド・バイバイヤン船長と、藤崎さんや拓海さん、林さん、結城さんが繋がったことは、この先必ず良いものを生み出すはずです。実際、シンポジウムの後に山下公園のパーティーに行ったんですが、そこでは皆さんがずいぶん話し込まれている光景を目にすることが出来ました。林さんとチャド・バイバイヤン船長なんか私が退散した11時前まで話し込んでいて、あれはきっとまだ話していたはずです。林さんの素直な(だから真実を見抜く力がある)目で見たミクロネシアの今をチャド船長が知ることは、今後のハワイとミクロネシアの関係に必ずや好影響を与えるはずです。

 そうそう、シンポジウムが終わった後でチャド・バイバイヤン船長に私聞いたんですよ。何で今日は来てくださったんですかと。

「私たちはこれまでいつも日本の皆さんにカヌーの話をする側だった。だから私は、日本の方々がカヌーについて話し合うところを見てみたいと思ったのさ。本当に楽しめたよ。」

 またチャド船長はシンポジウムの中でこうもおっしゃっていました。

「私たちは日本の皆さんに、ハワイの猿真似をしてもらいたいと思ってはいません。もちろんハワイに航海カヌーの勉強をしに来られるのも良いでしょう。ですが、ハワイで学んだことをそのまま真似するのではなく、それを生かして、日本独自の取り組みをしてください。」