漁師ナイノア・トンプソン

 昨日の続き。

 さて。ナイノアが考える、過去30年間で最も重要な出来事は以下の通りだそうです。

・ ハーブ・カネ、ベン・フィニー、トミー・ホームズの出会い
・ マウの登場
・ 1976年のホクレアのタヒチ到着
・ エディ・アイカウの死
・ エディの遭難から10日後に行われた、父マイロン・トンプソンとの会話
・ マウの再びのハワイ訪問
・ 現在ホクレアが取り組んでいる社会教育活動

 彼が最も熱を込めて語っているのは、やはりエディの死についてなのですが、他にも色々と興味深い話が出ています。例えば彼がサイパンにマウを呼びに行った時、彼はエディの死の話もしたのだそうです。マウはエディを知っていて、大きな衝撃を受けていたと。マウがハワイに来てくれたのも、自分が航海術をハワイ人たちに教えていればエディは死なずに済んだのではないかと考えたのではないかと、ナイノアは推測しています。

 それから、5つめの話。これはEddie Would GoにもAn Ocean in Mindにも書かれていないエピソードなのですが、1978年、エディの遭難で打ちひしがれていたナイノアを、マイロン・トンプソンは裏庭で見つけて、彼の肩に手を置いてこう言ったのだそうです。

「私はお母さんと話し合った。お前にはやらなければいけないことがある。」

 そしてナイノアにポリネシア航海協会の人々を集めさせ、彼らに向かって、ホクレアは蘇らなければならないと説いた。以下、マイロンの言葉です。

「次の航海は君たちの為にするんじゃない。君たちと同じ希望、願いを共有している、しかしカヌーには乗れない全ての人々の為にすると思いなさい。彼らと、彼らの子供たちの為にね。もしももう一度君たちがタヒチに行きたいのなら、目標を持ち続けることの力を理解して、それを上手く利用していく必要がある。自分が何故これをやっているのか、何を目指しているのか、そこにどんな意味があるのかを、常に忘れないことだ。君たち全員が絶対に諦められないと思うものだけが、君たちを一つにまとめられるんだよ。」

 マイロンが話をしていたのは、40分ほどの時間だったといいます。しかしこれがホクレア復活への最初の一歩となったということです。

 そして現在ホクレアが行っている、社会教育。こういうことに手を出した結果として、彼自身は現場から遠ざかり、航海者というよりは政治家としての活動が多くなったわけですが、本人はというと、やはり組織の長として色々な決断をしていかなければならないのがきついと語っていますね。出来れば海に出たい。自分の本質は漁師(???)だと思うと。

 航海士じゃなくて漁師なのかよ。「釣り師」ということならば、彼に「釣られた」人は、特に日本あたりに私も含めて一杯おりますけれども(笑)。