私が競馬を止めたわけ

 私の住んでいる所は多摩丘陵の端っこなのですが、うちから少し歩くと、多摩川の向こう側に東京競馬場が見えます。私は松任谷由実さんの音楽の魅力をまったく解さないものですが、それでも東京競馬場くらいは目に入る。

 東京競馬場といえば、日本でも最も格式の高い競馬場ですね。ダービー、オークスの開催地であり、秋の天皇賞やジャパンカップの開催地でもあります。オグリキャップとホーリックスが驚異の叩き合いを演じたのもここ。

 私は昔からこの近辺を転々としてきましたから、競馬場といえば府中という感覚ですね。それなりに馬券も買いましたよ。あんまり当たらなかったけどね。

 しかし、ある時期を境に、競馬が全く面白く無くなったので、ぱったりと馬券を買うのを止め、中継を見なくなり、新聞の馬柱も一瞥するだけになりました。1995年にその予兆が現れ、97年くらいには、はっきりとそういう競馬になった。ジェニュイン、ダンスパートナー、ダンスインザダーク、イシノサンデー、サイレンススズカ、スペシャルウィーク。

 要するに、強い馬がサンデーサイレンス産駒一色になったんですよ。特にG1で印が重い馬なんか全部サンデーサイレンス産駒か外国産馬になっていましたからね。配合の妙味もなにもあったもんじゃなくなった。高い牝馬にサンデーサイレンスをつけて、藤沢厩舎に入れて、武豊を乗せる。クラシックを取る馬がそんなのばっかりになってしまった。かと思えば、マイル以下のレースは外国産馬の草刈り場ですよ。

 勝ち馬に乗る、と言いますが、まさにサンデーサイレンスは絶対的な勝ち馬でした。その陰で、現役時代に良い働きをした牡馬でも、サンデーサイレンス系でない馬は殆ど種牡馬として生き残れなくなりました。タマモクロス、サッカーボーイ、メジロマックイーン、メジロライアンくらいでしょうか。なんとか生き延びたのは。夭逝したナリタブライアンはともかく、オグリキャップなんかもう廃用同然ですわ。

 つまらん。サンデーサイレンス産駒にあらずんば馬にあらずみたいでね。

 JRAの売り上げが斜陽の時代に入ったのも、それくらいの時期じゃなかったですか? やっぱり、みんなつまらなかったんですよ、多分。サンデーサイレンスはもう死にましたが、その産駒はまだ走っている。私は馬柱からサンデーサイレンス産駒が完全に消えるまでは、競馬はやらないことにしていますから、一応チェックはしているんです(笑)。

 みんな勝ち馬に乗りたがる一局集中。そして勝った奴の総取り。勝てなかった奴の所にはペンペン草も生えない。こんなつまらん状況は無いですよ。そう思いませんか? 先日の総選挙の結果を見ていて、私はサンデーサイレンス競馬を思い出しました。小泉純一郎とサンデーサイレンスがダブって見えた。郵政民営化に反対した旧亀井派の議員が、選挙結果を見てあっさり掌を返した。勝ち馬である小泉首相に乗り換えたわけです。いや、今の流行りの言葉でいうと「勝ち組」ですか。そして、勝てなかった民主党はペンペン草も避けて通るような惨状を呈しました。

 自民と民主の政策にさしたる違いはありませんから、政策面で言えば大きなブレは出ないという見方もあるかもしれません。それはそうかもしれない。ですが、こういった一極集中は長期的に見ると全体の活力を殺ぎますから、決して手放しで喜んで良い状況じゃないですよ。競馬を見ればそれはわかる。競馬界という系の中ではサンデーサイレンスに乗っていれば勝ち続けることが出来ますけど、競馬界そのものは、サンデーサイレンス一辺倒の弊害で地盤沈下を起こしてしまった。沈む船の一等船室にどれほどの価値があるものですかね。

 これから日本はどうなっていくのか。正直、私には全然わからんですが、「勝ち組」と「負け組」の差が残酷までに大きく、そしてまた、「勝ち組」か「負け組」かだけが重視されるような社会、言い換えれば個々の生活や価値観、生き方を無視して、収入の多寡だけでその人間の値打ちを判断するような社会というのは、長期的に見ると、決して気持ちの良いもんじゃないと思いますけどね。

 ちなみに私自身は「勝ち組」「負け組」という分類そのものに興味が無い「降り組」です。ホクレアやマカリイに乗ってる人たちも、どちらかと言うと「降り組」が多いんでないかい?

* 既に現時点で日本の公務員は、数の上でも報酬額の割合でも、欧米主要国に較べて相当に少ないレベルになっています。現在の公務員削減の議論は、「負け組」の八つ当たりが公務員に向かっているだけの感情論のような気がします。
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