パチものの魅力

 この週末は久しぶりに上々颱風のCDをまとめて聴いてみました。若い方はご存じないかもしれませんが、今から15年ほど前に、割と売れていたミクスチャー・ロック(笑)のバンドです。

 ミクスチャー・ロックと見て、ありがちな「スラッシュ+ファンク+ラップ」と思ってはいけません。このバンドは違う。一言で言えば「パチもの日本民謡ロック」。ちょっと聴くと日本風、ちょっと聴くと民謡風・・・・・そういうテイストで、しっかりした日本語歌詞のロックをやっているバンドですね。

 パチものというのは、この場合、悪い意味じゃありません。リーダーの紅龍さんもそこははっきり言っています。自分たちは偽物だよと。紅龍さんの得物はバンジョーを改造した怪しげな三味線モドキですし。でも、良い曲を沢山書く人ですよ。思いつくままに並べてみても「流れのままに」「愛より青い海」「銀の琴の糸のように」「いつでも誰かが」「アジアのこの街で」と、素晴らしい曲が揃ってますね。

 紅龍さんの曲作りで良いなあと思うのは、基本にすご~~~く忠実なところです。各種のペンタトニック・スケール(5音音階)を基本にして良いメロディを作り、日本語に無理をさせない歌詞を載せる。

 ペンタトニック・スケールというのは、ドレミファソラシド+半音の合計12音のなかから5つの音を選んで作る音階のことです。これは人類にかなり普遍的に見られる音階作りで西洋のドレミファソラシドも、歴史的に見るとドレミソラの5音から発展したものですし、アメリカ黒人のブルース音楽も、アイルランドやスコットランドの伝統音楽も、中国の音階も、そして日本の音階もそうなんですなあ。この辺、人間の遺伝子の限界かもしれませんね。

 ともかく、日本列島周辺の場合、完全4度の音程の間に音が一つ入ったものが、二つ繋がった形でペンタトニック・スケールが出来ているんですよ。例えばドとファの完全4度の間にミ、ソからオクターブ上のドの完全4度の間にシが入って、これが長2度音程で繋がってドミファソシドで琉球音階、とか。

 この二つの完全4度の繋がり方には完全1度(同じ音)と長2度の二種類があり、間に挟まる音には長2度と長3度の、同じく二種類がある。これらの組み合わせが4種類。

長2度で繋がって、間に長2度が挟まる…ドレファソラド(律音階)
長2度で繋がって、間に長3度が挟まる…ドミファソシド(琉球音階)
完全1度で繋がって、間に長2度が挟まる…ドレミソラド(民謡音階)
完全1度で繋がって、間に長2度が挟まる…ドミファラシド(都節音階)

 これで、日本列島を代表する4つのペンタトニック・スケール(都節、民謡、律、琉球)になる。たしか柴田南雄という作曲家が発見した原理だったと思います。うろ覚え。詳しくは『音楽の骸骨の話』という絶版本を探してください。プレミアついているらしいですけど・・・・

 さて、紅龍さんは、この日本列島的な音階を非常に上手く使っています*1。これ、原理は簡単ですけども、こういった列島風のペンタトニック・スケールを使いこなせてないと、とってつけたようなインチキくささが滲み出るもんなんです(林明日香のデビュー曲とか。この人は日本語の滑舌もまともに出来ていなかったので、歌詞が何にも聞き取れなかったなあ)。カッコつけちゃいけないのね。ふんどしとか履いて平気で人前をウロウロ出来るセンスが無いとダメですよきっと。

 もう一つ、基本に忠実なのは、絶対に言葉の途中で息継ぎを入れないところです*2。これは西洋クラシックの声楽では基本中の基本ですし、昔は日本の歌謡曲もそうだったと思うんですが、最近の日本のJポップというやつは、殆どこれを守っていないですね。まあそれも表現と言われればそれまでなんですが、言葉の途中で息継ぎ入れて単語をぶった切ったら、何歌ってるのかわからんやんけ。

 その点、上々颱風は安心して聴けますよ。良いね。日本語を大事にしてるって気がする。それでこそ日本の歌ですよ。いくら素性はパチものでも、基本のところはどっしりと列島の大地に根を張っているから、日本の風土にすごく馴染むんですね。パチものと感じさせない。

 ホクレア号サポーターと言えば、伊藤多喜雄さんなんか凄く熱いらしいのですが、伊藤さんは民謡歌手としての訓練を受けて育っている本物です。たしかに伊藤さんの音楽は凄い。言ってみればフラ・カヒコかな。一方、上々颱風はフラ・アウアナみたいなものですね。パチものとして、しかし自分の故郷に相応しい音楽を新たに創造しているというわけです。

 私は、どっちも好きですね。

*1 The Boomの「島唄」も、この原理を上手く使った例。山梨出身の宮沢和史でも、ウチナーになりきってやればああいう曲が書ける。

*2 例えば山下達郎は「蒼氓」で「生き続けることの/意味/それだけを/待ち望んでいたい」と歌っていますが、最近の日本の若い歌手や作曲家が何も考えずにやると「「生き続けること/の意味/それだけを待ち/望んでいたい」みたいになります。