スペイン街道を行く

 今日は「街道を行く」シリーズです。

 スペイン街道。

 司馬遼太郎さんの有名な紀行文集の中の一冊ですね。ご存じですか?

 嘘ですけれども。

 司馬さんの書かれたのは『南蛮のみち』。バスク地方からマドリッド、トレドと辿ってタホ川沿いにポルトガルへ抜けるというルートでした。しかし「スペイン街道」は違います。これは三十年戦争当時、戦略上きわめて重要な陸路でした。

 思い出してください。当時のスペインの領土。ヨーロッパに限れば南イタリア(ナポリ、シチリア)、北イタリア(ジェノバ、ミラノ)、そしてネーデルラント南部。地図を開けばすぐわかりますが、イタリアなんてのはバレンシアやバルセロナから東に向かって船を出せば安直に到達する、目と鼻の先なんです。しかも、船というのは古今、大量の物資を最も安価に輸送出来る手段ですからね。オスマン・トルコやコルセール海賊、あるいはヴェネチア海賊が跳梁跋扈するとはいえ、まあなんとか海路を確保出来る範囲内ということで、スペイン本国とイタリアの連絡はさほど苦しくなかったようです。

 ところが、これが地中海を出ると話が違う。イベリア半島からネーデルラントに行くのであれば、セビージャとかカディス、あるいはリスボンからイベリア半島沿いを北上して、ガリシアからビスケー湾を横断してドーバー海峡。そこを抜ければダンケルクは目と鼻の先です。しかし、ドーバー海峡なんてのはイングランドやオランダの艦隊が手ぐすね引いて待ちかまえておりまして、当時既に海戦能力ではこれらの国々に遅れを取っていたスペインには分が悪い勝負でした。なんせオランダなんて一時は陸上から叩き出されて船団国家だったくらいですからね(「海乞食」と呼ばれました)。

 そこで出てきたのが次のようなルートです。まず本国で編成した部隊はジェノバまで海上輸送されます。そこでイタリア上陸。北上してミラノを通過し、コモ湖から北東へ。ヴァルテリーナ渓谷という谷間を抜けてアルプスを越える。この辺りは当時はプロテスタントの領主が持っていたのですが、住民はカトリック中心だったのでこういうことが出来たのです。

 ヴァルテリーナ渓谷からアルプスを越えてオーストリア国内。ここはもうハプスブルグ家の領土ですから、まあ親戚の家の庭ですな。オーストリアからはアルプスを逆に下ってバイエルン地方へ降ります。そこからライン河を船で下れば放っておいてもネーデルラントまで行けちゃう。

 これを「スペイン街道」と呼んだ。

 2巻の最後でマドリから遁走した隊長とイニゴくんが辿ったのもこの道筋です。いやはや何とも遙かな道のりではありますな。