今更ながらに立ち寄った図書館で小説新調のファンタジーノベル大賞発表号を手に取り、やはり受賞させるのは時代小説なのねと苦笑いして受賞作は読まずに(興味無いのだよ時代小説には)、森見登美彦と恩田陸の選考委員退任記念対談だけ見た。
恩田陸は最後まで「世界観やキャラクターを描こうとするな」という、ファンタジー小説に関しては極めて偏った(そして古今東西のファンタジー小説の主流においても支流においても妥当しないような)主張を繰り返していたので、この人を審査員にしていた小説新潮のファンタジーの理解度の低さをしみじみ味わった。
森見登美彦は自分のストライクゾーンが狭い(大意)と言っていたのだが(私から見てもそう思う)、この人が審査員をやっていた2017-2025の間に受賞させた新人作家でその後、ファンタジー小説作家として頑張ってやっているという人がどれだけいるかというと、かろうじて高丘哲次は2作目もそれっぽい長編を出したからギリギリセーフ、あとはどうなのよと思った。大塚己愛は体調不良もあったらしいがそれにしても活動年数を考えると極めて物足りない。デビュー直後に一瞬パーッと売れてそこまで、という流れになりつつある(頑張って盛り返して欲しい)。
新人賞のパフォーマンスとして素晴らしいとは全く言えないだろう。逆に「え? こんだけ?」とは言いたくなる。しかも新潮社、自前のファンタジーノベル大賞作家を育てるよりも文藝春秋社で八咫烏シリーズを大ヒットさせた阿部智里を連れてきて特設サイトつきの新シリーズ立ち上げなどやっているという、何なのこれ。自分とこの2軍やユースチームから使える選手が出てこないんでよそのチームのエースを引き抜いてるみたいなことでしょ。ね。
角川ビーンズ小説大賞出身の三川みりが新潮NEXで「龍ノ国幻想」書いてるとかも。どうなのそれ。それもいいけどホームグロウンの大塚己愛や高丘哲次を育成すべきでしょ。
毎年ずいぶんと結構な講評を掲載しておられたお二人ではあるが、審査員として発掘した作家陣のパフォーマンスはすなわちお二人のファンタジー小説審査員としての力量を推し量る何かになってはいないだろうか?
羊谷くんのこの言葉ね。
〈門番〉のあり方は贔屓目にみても大変だ。まず、あるジャンルにたいしてオーナーシップをもち、個人の好き嫌いにかかわらず、そのジャンルのあたらしい重要作品にふれなくてはならない。くわえて、そのジャンルの良さ(あるいは、本質)とはなんなのかを隣接領域とのちがいから考え抜き、人気作をはじめ、さまざまな作品を世評に左右されずに評することがもとめられる。それは、流行り廃りが個人の力ではままならないものである以上、ひとによっては「老害ムーブ」と非難されるものであり、ほとんど負け戦のようなものかもしれない。
しかし、「もう/まだ、いない」ものへの責任として、特定のジャンルを美的に秩序立てるという批評の試みは、ジャンル愛好者の誇りの問題であり、未来の愛好者のための導きの問題だ。物事の流行りには外在的要因が大きいからこそ、人気の浮き沈みを越えた内在的な「良さ」を言葉に遺し、より良い作品を少しでも語り継ぐ試みほど尊いものはない。
そういう覚悟や気迫でファンタジー小説に向き合っている人たちがやっている賞じゃないという答え合わせを毎年更新している。そんな感想です。




