日本げんだいアート界隈で2025年10月から12月にかけてザワザワしていた例の小説の書評です。
全体の感想
気軽に読めるエンタメ小説としてなかなか良く出来ていると思います。もともと私はこの類の小説はほとんど読まないのですが、たまに読んでみると、ああ読みやすいなあ、マンガやテレビドラマみたいにスルスル内容が入ってくる感じで読めちゃうなあと感心します。認知負荷はラノベの平均よりちょっと重い程度。「86 エイティシックス」あたりのラノベだったらこっちのが軽いかな。
もちろん日本の小説市場のニーズの中心もこの辺にあるわけで、職業小説家としてこういうものを書くのは正しいし、こういうものをコンスタントに書けるのは立派なスキルだと思っています。
登場人物
主人公の真由子とヴィランの海玲、どっちも上手く「嫌な女」として造形されています。こじらせてるっていうんですかね。二人ともバリバリに裏表があって、お友だちになりたくないタイプです(笑) そうなった理由として、真由子は男社会の中で上手く立ち回って「ガラスの天井」を破ってきた中で人間性がちょいと汚れたという設定。海玲は一発当てて大金を手にして元々倫理観が薄かったのが完全にタガが外れたという設定。どちらのタイプも現実にお見かけするので、篠田節子の人間観察と描写能力はなかなかのもんですね。
個人的には真由子みたいな人間を主人公にして小説を書くのは気分が悪いのでやりませんが、それが出来る篠田節子は偉いです。
また、インチキ画家ヴァレーズの人物造形にはリュック・ベッソンの映画「グラン・ブルー」で描かれたフィクションとしてのジャック・マイヨールがかなり入っていると思いました。「グラン・ブルー」が日本で大ヒットしたのが90年代前半で、まさにラッセンのブームと時期的に重なっていたんです。また「グラン・ブルー」ではマイヨールがイルカと戯れるシーンが効果的に使われていますし、
ジャック・マイヨールがイルカ愛について語った『イルカと、海へ還る日』は邦訳が1993年(原著は1983年)に出ましたが、これもまあ売れてましたよ(笑)
1990年代前半の東京都心リアタイ勢で池袋で日々セゾン文化に触れていた私としては、篠田節子がラッセン的なマリンアート画家を二人羽織の表裏に分解した上で、表側に商品としての「ジャック・マイヨール」要素を追加したのは、実にまあ気が利いていると思いました。
ラッセンだけ見てたら知らんだろうけど、当時の池袋や渋谷や六本木ではラッセンとマイヨールは隣の棚に置いてあるような商材だったんですよ。むしろ原田裕規編著のラッセン本にジャック・マイヨール消費についてのエッセイが入ってなかったのは何でなの、くらいの。ケニーGよりマイヨールじゃないのかと。(ハワイ研究者の寄稿者が一人もいないという点でも、あの本のアカデミック度は低いと私は思ってます) で、二人羽織の裏担当の日系人の方はハワイ研究者たちのアカデミックな文献(後述)をがっつり読み込んで造形されてますね。
ラッセンが最初のインスピレーション源だったとはいえ、そのままラッセンっぽい画家を出すのではなく、二人羽織設定にして更にフィクショナルなジャック・マイヨールと日系人の「落ちこぼれ」という属性をそれぞれに埋め込む。これは実に上手い。篠田節子はここで知的にも大変に高度な仕事をしていると思います。
ハワイ島についての描写
カイルア・コナの観光ゾーンやホルアロアのひなびた感じ、ヒロの観光化されていない雰囲気など、上手く描写出来ていると思いました。海玲がホンダの軽ワゴンに乗っているという描写も実に上手い(軽自動車は25年落ちでないとアメリカでは公道を走れないんですが、25年越えのポンコツがハワイ州ではいっぱい走ってるのです)。
日系ハワイ移民についてもよくリサーチ出来ていますね。参考文献一覧でも山中速人や平川亨、村上和賀子などハワイを専門とする研究者の本や論文が並んでいましたが、それらの内容を充分に活かせている小説と思います。ここは汎用異世界テンプレを使うラノベよりも遥かにコストがかかっている部分で、篠田節子の職人的誠実さを感じました。高く高く評価したい部分です。
なお、ビッグアイランドに空路で行くならカイルア・コナかヒロのどちらかの空港に降りて、島の上半分を半周しているママラホア・ハイウェイで反対側の町との間を行き来するという移動ルートしか取りようが無いので、作中人物がカイルア・コナからビッグアイランドに入った時点でその後の移動パターンは確定。ビーチリゾートはカイルア・コナがある西側に集中してるんだから真由子がカイルア・コナ空港に降りるのは当たり前です(笑)
全体の構成
終盤の種明かしからエピローグまでが意外に長く、またあらゆることについて種明かしされていたのですが、一般大衆向けエンタメ小説ならこれくらい懇切丁寧手取り足取りでやらないと文句言われるんだろうなあと。ジャンルの事情でしょう。
マリンアートと「美術史」について
私の理解では、マリンアートはハワイの観光開発に伴って生まれてきたフォークアート(folk art)として捉えるのが最もシンプルなジャンルです。創始者のロバート・リン・ネルソンはアートスクールを出ていましたが、ラッセンを含めて多くのマリンアート画家はアカデミックな芸術教育を受けていません。その時点でアウトサイダーアートです。
また、マリンアートはサーフィン文化と深く結びついています。現代のサーフィンはポリネシアで古代から行われてきた民俗スポーツとしてのサーフィンが原型で、言うまでもなくハワイ諸島は全世界からサーファーがやってくる場所です。ロバート・リン・ネルソンやクリスチャン・ラッセンもカリフォルニアから移住してきたサーファーです。
で、ここが多分重要だと思うのですが、サーフィンもハワイ先住民文化、更に言えば古代ポリネシア文化の一つとして、1970年代のハワイアン・ルネッサンスの一翼を担ったわけです。アカデミックな方面ではベン・フィニーによるサーフィン史の研究。ハワイ近現代史を勉強した人なら、これだけでピンと来るはずです。ベン・フィニーといえば航海カヌー「ホクレア」建造プロジェクトを立ち上げた人物の一人。ホクレアといえばそのプロジェクトの初期メンバーでなおかつプロジェクト唯一の遭難者であるエディ・アイカウ。エディ・アイカウといえば毎年冬にノースショアで開催されるエディ・アイカウ記念ビッグウェーブ大会(時期によって大会名が変わっているので本稿ではこう書いておきます。まあTHE EDDIEって書けばそれで通りますけども)。
ハワイ諸島の古代と現代を繋ぐ文化の一つであるサーフィンと結びついて生まれてきた、フォークアートとしてのマリンアート。だから西洋美術史とはそもそもリンクされていないし、それでもラッセンを美術史上にどう位置づけるかという問いが成立するとしたら、消費社会論がベースでしょうね。欧米では当たり前である、誰でも気軽にアート作品を購入するという習慣が無かった日本において、おそらく初めて(複製画ではあっても)庶民が気合一発アート作品に大枚をはたくという行動を喚起したのがインテリア絵画であり、その中の作家の一人として起用されたマリンアート作家。工房システムなんかはウォーホルがずっと前からやってたのでそこは新しくないです。
もちろん絵画史的見地から見ると、ヴォルケーノ派から現代ハワイの海洋文化への影響というのは明らかにあって、たとえばベン・フィニーとともに「ホクレア」建造プロジェクトを立ち上げたトミー・ホームズによるハワイのカヌー研究の本の表紙には、ヴォルケーノ派のヒッチコックの絵が使われています。

私の本棚にありますよこれくらい。普通あるでしょ?
で、ベン・フィニーにトミー・ホームズときたら、美術史にとても詳しいげんだいアート通を自任するあなたは当然ここでハーブ・カワイヌイ・カネの名前を思い出すに違いありません。ですよね? なにしろこの3人が「ホクレア」を作ったんですからね。
ハーブ・カネは中国系、デンマーク系、先住ハワイ系のルーツを持つ画家で、SAICでBFA、シカゴ大でMAを取ったバリバリアカデミックな人です。ヴォルケーノ派のヒッチコックを見て画業を志したのですが、作風はもっとプリミティブ寄り。
プラモデルの箱絵みたいですが、あのね、ハーブ・カネってハワイでは一流の画家として尊敬されてた人ですから。ハワイではアカデミックな(SAIC/シカゴ大で修士ってぶっちゃけ東京藝大の修士より遥かに大学ブランドの点では格上ですからね?)ペインターでもこういうの描いてたわけで、マリンアートの人たちの、同時代のファインアートのペインターたちとはかけ離れた絵柄も、土地柄なのかなあと思わないでもないです。もちろんマリンアートの人たちはハーブ・カネの絵を見てたでしょうし。
話を戻すと、「青の純度」はこういう、制度としてのファインアートから見れば辺境中の辺境、東京よりもまだ辺境(東京は辺境だぞ。東京でスゴい現代アーティストって持ち上げられてる人たちでも、履歴見たら日本国内と日本の税金や日本の財団の助成金もらって洋行した経歴しか無い国内げんだいあーと番長いっぱいおるぞ)のフォークアートとしてのマリンアートの空気感もよく描けていたと思います。
ディズニー
インチキ二人羽織画家のヴァレーズの絵柄について、顔のところが擬人化されてるって描写が何度も出てくるのは、ラッセンがディズニーとコラボしてるのを遠回しに苦笑している表現なんじゃないかなと思うなど。


