いまどき、何故、小説なのか

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このご時世、金儲けしたいなら小説なんてジャンルに手を出すのはおかしいんじゃないんですか、という質問を受けた。

良い質問である。

せっかくなので、わかりやすく分析してみよう。

まず、金儲けの手段としての小説の位置づけについて。

小説は著者に、それだけで桁外れの利益を運んでくることは、極めて稀な商品である。

が、その一方で、少ない元手で作ることが出来る商品でもある。

リターンは小さめだが、イニシャルコストもランニングコストも個人事業で無理なく調達出来るのだ。そういう意味では、手を出しやすい領域である。ローリスクミドルリターンだ。在庫の山と借金を置いて夜逃げする展開は、小説の中だけにとどめておけるだろう。

一方、同じようにテキストを売って儲けるメディアの一つである美少女ゲームは、当たればリターンも大きいが、最初の投資額も重い。億単位のキャッシュを用意しなければ作ることが出来ないのだ。

また、小説を売って金儲けをするという行為と、その小説の派生商品を併売してラインナップを増やし、より大きく儲ける行為は、相互排他的ではない。

田中芳樹が銀英伝でいったいどれだけの利益を手にしたのか、武田綾乃がユーフォニアムでどれだけの利益を手にしたのか、それは小説の印税だけだったのかを考えてみると良い。有名作品になると、関連商品1アイテムあたり最低支払い権利金(売れようが売れまいが最低これだけは先払いしてもらうよと版権管理者から提示される金額)は50万円を超える。私もそのうち作中人物が使っているバッグを公式で作って売ってみるつもりだ(誰かツッコんで)。

かような理由により、小説というのは、それだけで生計を立てるのでなければ、多様な収入源の一つとして事業開発に挑戦してみるのも悪くない領域と言える。勘違いしている人が非常に多いが、人類の生業は複業であることが当たり前なのであり、副業を就業規則で禁じるのがデフォルトという現代日本の方が異様なのだ。そもそも日本を代表する小説家で、しかし小説は副業あるいは趣味であった人物がいるではないか。

紫式部

さて、これで、小説が決して事業開発案件として無謀ではないことは明らかになった。

しかし、事業開発案件としてローリスクミドルリターンのものも、幾つもある。その中から小説を選ぶ理由について考える。

これも簡単だ。自分が夢中になれる領域で勝負した方が、勝てる可能性は上がる。何故ならば、夢中であることは、知識の吸収やスキルアップが苦にならないことを意味するからだ。

私は小説にしか興味がない人間ではないが、おそらく「なろう」あたりで書いている書き手の大半より小説を読んだ量もその範囲も上であろうし、加えて美学芸術学社会学の研究者として、文芸批評の理論も一通りは知っている。

つまり、ゼロから投資を始める必要が無いわけだ。

全く知らない分野のスモールビジネス、例えばミッドセンチュリー家具とか特定メーカーの特定車種(知人でVWゴルフIIの専門店をやっている人がいる)の専門店を開業するのであれば、ゼロから大量に勉強をする必要があるが、小説であれば、それは無い。40年以上読みに読み、書評も書きに書いてきた。あとは、始めるだけだ。

そして何よりも自分には、小説によって形にして残しておきたいものがある。

複雑で、複雑で、複雑な現代社会において、人はいかに自分らしさを失わずに生きることが出来るか。

人が成長するとは、人を成長させるとは、いかなることか。

学問とは、何か。

これについて自分が今まで考えてきたことを、息子や教え子たちに、まとまったパッケージとして手に取れる形で残しておきたい。

だから複雑な法律体系と複雑な国際物流と複雑な国際金融と複雑な国際政治と複雑な身分制度の存在する物語世界を創り、それらの制約の中で登場人物たちがいかに意思決定するかを描いている。

魔王や竜を倒して大団円、という世界ではない。各エピソードの主人公たちが向き合うのは、歴史の流れそのものだ。何百万人もの人々がそれぞれの思惑や欲望や願いをもって生きている世界が、変わろうとする時、個人に何が出来るのか。

法律と財務を無視しては何も出来ない。いくら大国の王であっても資金は無尽蔵ではない。国庫を赤字にしない範囲で半年以上実戦配備出来る兵力は最大でも3万人で、それを超えれば借金をして戦争をするということになり、国庫は加速度をつけて悪化してゆく。

また、これは社会問題だからと言って大きなキャッシュフローのある場所をいきなり潰せば、悪影響はどこに出るかわからない。

そういう世界で、登場人物たちはあちこち駆け回り、話を聞き、悩み、決断を下し、先に進んでいく。

「さて、話を戻そう。何故、大学の中に絶望が無いのか。それは、学問というものが永遠へと繋がれているからだ」
「永遠ですか」
「そうだ。もちろん私の生命は永遠ではない。しかし我々が過去から受け継ぎ、今もそれを創り、未来へと渡すものは、終わらない。永遠にな。だから、望みは永遠に絶えない。絶望は永遠へと先送りされ続ける。これが、真理は絶望を打ち砕くということの意味だ」
「知りませんでした」
「難しいか」
「いえ、わかります」
「だが、お前が書いたように、たしかにこの理屈は大学の中でしか成り立たない」
「そうでしょうか」
「少なくともお前はそう思ったのだろう?」
「そうだったかもしれません」
「それで、どうだった。門の外には希望は無かったか?」
今度はグウィルが黙り込む番であった。
「希望とは、何なのでしょうか」
「そんなことも考えずに、あれをぶら下げたのか、お前は」
ツァルガが笑う。
「恥ずかしながら……」
「希望とは、何かを手に入れたいと思うことだ」
「何かを手に入れたいと思うこと……」
「そうだ。だから絶望の反対が希望なのではない。絶望とは、手に入れたい何かが手に入る可能性が絶えることだ。可能性の有無の問題だ。だが希望は可能性の問題ではない。思いだ」
「では、あれは表と裏で対にはなっていなかったのですね」
「誰も気づいてはおらんよ」
「そう願いたいです」
「それで、お前は門の外で何かを手に入れたいと思ったのか」
「思っていないような気が、します」
「だが、お前は既に歩きだしている」
「はい」
「だから、希望を見つけなさい」
「はい」
「他人の持ち物を手に入れたいとか、持ち切れないほどのカネを持ちたいというのは希望ではないぞ。これは欲望というのだ。我々の歴史の大半は欲望に動かされてきた。わかるだろう」
「……はい」
「だが、お前が学んだ法学はどうだ。800年前の法律と今の法律を較べたとき、どちらがまともだ? どちらがより多くの同胞や隣人を救うものだ?」
「それは今の法律です」
「それが希望というものだよ。人が、あるいは世界がより良くある未来を見て、それを手に入れたいと思うことだ。シムロン家の偉大な祖先たちが手にしていたものも、きっとそれだ」

「兵站貴族」より

これを表現するのに、アニメや美少女ゲームや実写映画や連続ドラマは最適だろうか?

源流を異にする三つの法体系の絡み合った場で、同胞にとって最善な道は何かを探そうとする若者たちを描くのに、おそらく小説は最適なメディアである。

だから小説を選んだ。それだけのことである。

「竜の居ない国」を読み終えた教え子が、彼女は日本語を第二言語とする外国人で、自分は大学1年と3年の時に担当したのだが、先生この小説は社会学部の教科書で使えますよと言ってくれた。学問とは何かが、これを読めばわかる、というのだ。

まずは一人に、手渡した。

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